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足りていないもの

 
いつもそうかもしれないが、今日のblogは輪をかけて結論がない。
しかし大事だ。
 

 
 
自分がどんな状態で、どんなことをしているときに幸福を感じるかについて、僕は確信できていないのではないか、という気がする。
 
何が好きで何が嫌いなのか
何が良くて何が悪いのか、
 
そういう問いに対して、なんとなくその場その場では答えることができるけれど、一貫した価値基準で、明快な言葉で迷わずすらすらとは話せないと思う。
 
類似した事柄に対して、一方は好きで、他方は嫌いだと回答して、あるいは、時間が経てば変わって、その違いを話せなくて、すぐに矛盾が生じる。そんな気がする。
 
言葉にするまでもないくらい自然にわかっていることだから、改めて言葉にする必要性がよくわかっていなかった。
 
尊敬する人と、僕とのもっとも大きな違いはそこにあるように思う。
 
彼らはみな、厳密に快・不快を判別している。
僕は感情的な人間だけど、もっとストレートに自分の感情に真摯なように見える。
何が大切なのかが状況に左右されず、優先順位を間違えていない。
 
『いま』でしかものを見れなかったり、自分の感情がわからなかったり、そういう愚かさがない。
 
過去の自分の行動、選択、結果から、自分が何を思ったか、感じたか、
そういうことについても敏感に学びを得ているように思う。
 

 
 
自分で選択しておきながら時間が経って悔いたり、なぜ自分が不機嫌なのか分からなかったり、迷い続けたりしたりしないように。
 
分からないままでいたり、逃げたり、確信が持てないままでいたりしないように。