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ジャンクさに自覚的であること
いつからかわからないけれど、映画を観るのが大変だと感じるようになった。
映画館まで足を運べばきちんと最後まで観終えることができる。
そういうことではなく、コンテンツの選択の問題だ。
『Netflix、Amazon Prime、Hulu…etc、こんなにもサブスクリプションの動画配信サービスがあるにもかかわらず、思ったように使いこなせていない』こう言えば、うまく伝わるだろうか。
1 / これは、暇つぶしか?2 / インスタントでジャンクなコンテンツの特徴2-1 / 即席的なコンテンツ2-2 / レコメンドされるコンテンツ2-3 / 消費する側に回るコンテンツ2-4 / 予測可能であるコンテンツ2-5 / 単純であるコンテンツ3 / 偶然の出会いを大事にする4 / 何を消費するのかを主体的に決める
1 / これは、暇つぶしか?
サービスがレコメンドするのは、似たようなコンテンツばかりだ。
疲れないで、消費している:言わば、暇つぶしをしているような感覚だ。
小学生、中学生の頃を思い返してみると、もう少し能動的に、ワクワクするようにコンテンツに没入していた。
同じ漫画を繰り返し繰り返し読み込んで、来週の展開が待ち遠しかった。
映画というコンテンツが枯渇していたから、毎週の金曜ロードショーがすごく楽しみだった。
テレビも漫画も映画も、もっとかじり付くように消化していた。
いまは違う。
- 偶然生まれたスキマ時間を、そのままにするのはもったいないと感じてしまう
- だから、暇つぶしのようにコンテンツの消化することを選択している
- 『コンテンツをきちんと選ぶこと』も、『重たいコンテンツ:展開が読めないコンテンツを消化すること』も面倒で、疲れる。
- なぜなら、所詮は暇つぶしだったから。
- だから、『短くて』『わかりやすく』て『展開が読めて』『サービスがおすすめしたもの』を無思考に消費する。
- でも、似たものの繰り返しで、つまらなくなってくる:だから、本当の意味で満足できていない
YouTube Short、Instagramのリール動画、Tiktokに時間を消費してしまうのもこういう感じだ。
そこそこに美味しくて、即席に作れて、でも毎日食べるようなものじゃなくて、なのに忙しくて無思考になって、食べすぎてる。
こういうコンテンツを、『インスタントでジャンクな』コンテンツと呼ぶことにした。
『インスタントでジャンクな』コンテンツは、映画に限らない。この世にたくさん溢れている。
気をつけないと、自分を魅力的でない、つまらない人間にさせる。
2 / インスタントでジャンクなコンテンツの特徴
僕が思う特徴を勝手に述べる。
2-1 / 即席的なコンテンツ
- コンテンツの消費まで、まとまった時間や準備を必要としない
- すぐに始められて、すぐに消費しおえることができる
- 消費する理由も、特になく、なんとなく始めて、なんとなく終わる
2-2 / レコメンドされるコンテンツ
- システムが推奨するため、無思考に選択できる
- 受動的に選択している:もっと言えば、フォアグラのガチョウのみたいに、『無理やり選択させられている』
2-3 / 消費する側に回るコンテンツ
- そのコンテンツは、ただ消費することのみをユーザーに要求する。
- ただただ、時間を消費する。
- 自分に変化を与えない。世界の見え方は変わらないし、明日の行動も変わらない。
- 作り手にはならず、無思考に時間が溶けていく
2-4 / 予測可能であるコンテンツ
- 展開がものすごくわかりやすい。
- どうなるかが明らかなだ。
- 消費する前からどういう味なのかがわかるもの。
- 食べなくてもわかるけど、でも食べやすいからなんとなく食べてしまうもの。
2-5 / 単純であるコンテンツ
- 勧善懲悪的で、複雑な問題を無理やり単純化しているもの:わかりやすい悪者や原因を演出し、現実を矮小化するもの。
- 愛国心を煽ったり、腹立たしい上司を登場させたり:人々を扇動させたりするコンテンツであるもの。
- 咀嚼が不要で、無思考に反応を誘導させるもの。
3 / 偶然の出会いを大事にする
セレンディピティ(Serendipity)という言葉をご存知だろうか。
「偶然の産物」を意味する言葉だ。
イギリスの小説家・政治家であるホレース・ウォルポールが生みだした造語で、『セレンディップと3人の王子(The Three Princes of Serendip)』というおとぎ話が語源になっている。
- 素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること
- 何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。
- ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること。
インスタントでジャンクなコンテンツを消費してしまうのは、システムに身を任せて、我々が選択することを放棄してしまった結果だと思う。
検索やレコメンデーションは、自分に『最適化されすぎて』いる。
故に、偶然性がなく、それまでの自分のコンテンツ消費歴を模倣している。
新しいコンテンツに見えても、類似のコンテンツばかりでつまらないし、価値観が広がっていかない。