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後世への最大遺物

 
 
新卒の頃から事業開発・新規事業という言葉にものすごく憧れを抱き、実際にそういったキャリアをずっと歩んできた(つもり)。転職して、数ヶ月。自分がなんでこの言葉に惹かれるか、改めて整理しておきたい。
 


 

1 / 生い立ち

僕の実家は富山県にある教会だ。
教会、と言うといろいろなものをイメージされるかもしれないが、見た目としては、お寺のようなイメージに近い。
 
教会の人たちは、愚直だ。
毎朝毎夕、世界がひたすらに善くなることを祈り続け、生きていることに感謝を捧げる儀式を行い、教えを読みあげる。
昼は奉仕活動や儀式の準備に時間を費やす。そうした日々をただひたすらに繰り返す。
 
教会には、教会の運営に全責任を負う教会長という役職がある。
後継者の決め方はいたってシンプルで、教会長の長男が次の担い手となる。
 
いまでも覚えていることがある。4歳くらいの頃だ。
長男が後継者であるという当たり前のことがわからなかった僕は、信者とこんな会話をした。
 
『いまは、おじいちゃんが教会長だよね。そしたら次の教会長は誰になるの』 『次はお父さんだよ』 『その次は、お兄ちゃん?』 『そうだよ』 『そしたら次は、僕だね』 『ううん、その次は、お兄ちゃんの子どもかな』
 
別に、教会長になりたかったわけではない。
だけれど、僕はそのとき、言いようもなく悲しかったような悔しかったような、そんな感情を抱いたことを覚えている。
 
後継ぎが大事にされる田舎の独特な空気感。 4人兄弟の末っ子として生まれたこと。 自分は後継ぎではないこと。 自分が大切にされないのではないか、と不安になること。
 
いろいろなことがトリガーになり、僕は、長らくコンプレックスを抱えることになった。
 

2 / 大学時代の思い出

幸いなことに、日本の競争学歴社会を生き抜く上でコンプレックスはとてもプラスに作用した。
 
勉強や部活、課外活動など、学校で良いとされることを頑張ることに疑問を抱かなかった。
教会での教えもあり、いわゆる優等生的な振る舞いは上手かったと思う。
ただ、中学高校と、友達は少なかった気がする。それはきっと、自分の価値観が空虚だったからだ。
 
教会の教えや世の中・学校社会で良いとされることに、すこし色をつけて、さも自分のものであるかの様に着飾っていた。
学校生活はそれなりに満喫したけれど、中学高校時代の友達で、今でも会いたいと思うのは、率直に言って片手で収まってしまう気がする。
(そもそも、みんなそうなのかもしれないが)
 
転機になったのは、大学受験だ。
東大に落ちて、後期で横浜国立大学の数学科に入学することになった。
良い数学の先生になるという志は捨てなかったが、なんだか少し、糸が切れてしまった。
 
『最後の学生生活』くらい、本当の意味で友達を作りたいと思ったし、勉強以外のこともたくさんしたいと思った。実際にそれはとてもうまく行った。
(逆に勉強をしなさすぎて、後悔しているくらいだ。)
 
大学祭実行委員をしたこと、NPO法人で活動したこと、
数学の問題集を作る小さな会社で憧れの予備講師と働いたこと、
塾講師をしたこと、スタートアップでインターンをしたこと、
友人と3人で三浦海岸まで夜通し歩いたこと。
 
とても楽しくて、味わい深くて、すごくいい思い出だ。
 
そして、スタートアップで働いたときの上司が、僕に『事業開発』という言葉を教えてくれた。
 

3 / 事業開発との出会い

 
この世にまだない事業を生み出すこと、既存のサービスを別の業界や顧客に検証すること、まだぐちゃぐちゃなプロセスを型にして仕組み化してくこと
 
事業開発といってもそのレベル感はさまざまあるけれど、いずれにしても、僕はその言葉に無性に惹かれるものがあった。
 
僕は何か、形に残すことがとてつもなく好きだからだ。
文章を書くことも、写真を撮ることも、資料作りについ時間をかけてしまうことも。
 
それはきっと『兄にはあって、自分にはなぜ役割がないのだろう』と思い続けたコンプレックスに根差している。
何かを形に残すことは、自らの存在証明なのだ。
まだ世の中にない価値を生み出して、自らの役割の意味を世の中に問い続けることで、僕は気持ちよく息を吸える。
 
いままで、使命はずっと誰かから与えられるものだと思っていた。
誰かから与えられると思って、それが与えられないから苦しかった。
そうではなく、自分から見つけるものだ - もっと言えば、見つけるのではなく、勝手に自分から宣言するものだ。
 
僕は、良い事業を作りたいし、残したい。
これはきっと僕の使命なんだ。
なんの根拠もない。だけど、そんなことを思った。
 
僕の人生で初めての上司は、大学生の頃に内村鑑三の『後世への最大遺物』を読んで、事業を作り続ける人になりたいと思ったらしい。
きっかけは本と出会ったから、ドラマチックじゃないけど、本人がそうだから、それでいいんだ。
 
 
僕もこの本を読んだ。文章が難しすぎて(というより、口調がとても古く、logmiのような書き起こし形式だから読みづらい)、5回くらい挫折した。
だけど、なんとか読み通して、今でもたまに読み返す。それくらいいい本だ。
 

『人は何を後世にのこせるのか。それは、お金と事業だ。
でも才覚がない人は難しい。そう言う人は生き方を残すのだ。』
 
『自分の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない』
『わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか』

 
死に自覚的でありながら人生を過ごすのは難しい。
それはとても怖くて、恐ろしいことだから。
だけれど、何物も死に抗えないとしたら、最後の日は必ず来る。1日1分1秒と自覚的でなければ、無為に過ごしたこと後悔をする。
 
いま死んだら後悔することがたくさんある。
 
後世に残せる様な物が一つもない。
ありがとうを告げられなかった人がいる。
謝れていないまま逃げた人がいる。
まだまだ挑戦したいことがたくさんある。
 
やりたいことをやるためには、やりたくないこともやらなくてはいけなくなる。
死に自覚的でなければ、ずっと明日に延期するだろう。
 

4 / 終わりに:借り物の言葉と自分であること

 
僕の価値観は、いろんな人から借りた言葉でできている。
 
教会で教えられたこと、教師に言われたこと、友達に怒られたこと、人生で初めての上司からのフィードバック、ある日たまたま開いたブログ記事、ある日開いた本の1ページ、ある曲の一節。
 
大学生の頃は、高校時代の自分の価値観の狭さが嫌で、自分という人間が嫌いだった。
借りてくる言葉のバリエーションがすごく偏っていて、少なかったからだ。
自分というより、何かのコピーであるかのように感じていた。
自分から自分だけのオリジナルなアイディアが生み出せないことも嫌だっだ。
 
だけど、ある日からそう思わなくなった。
誰かの生き方が自分に影響を与えてくれたこと。
このことが尊いことだと思ったからだ。
 
内村鑑三は、『後世に誰でも遺せて、有益で害にならないものは、勇ましくて高尚な人の一生』であると説く。
 
僕が出会った人に影響を受けることは、彼らが生きた証を残すになる。
完全なオリジナルみたいなものはなくて、少しずつ少しずついろんな影響を受けて自分ができている。
このことが尊くポジティブに受け入れられるようになった。
 
このブログも、下記の記事と出会ったことが大きい。とても面白い記事だから、ぜひ読んでほしい。
 
10Xなプロダクトを創る / by yamotty
 
僕の『事業を作りたい』『事業開発って言葉がすごくかっこいい』っていうのは、これは借り物だ。
人生で初めての上司からの借り物であり、出会ったこともないyamottyさんからの借り物であり、いくつかあるビジネス本からの借り物であり、友人や同僚からの借り物だ。
だけど、これも含めて僕だ。借り物だけど、これも僕だし、僕はこれを使命にしたいと思っている。
 
いまの会社ではまだ、大きな成果も役割も果たせていない。
でも必ずこれを全うしたい。
 
自らの思想や事業を残すために大変で楽しくて辛い労働に向き合う。
そして僕もまた、いずれ後世への最大遺物を残していく。