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贈り物の哲学
僕は贈り物をすることが好きだ。
仲がいい友達の誕生日は、たいていLINEギフトで贈る。住所を知っているくらいの仲だと、Amazonを頼ることもある。
最近喜ばしいことが続き、考える機会があったので、思うところをまとめておきたい。
贈り物の効用
贈り物は、楽しい。
贈り物は、連絡する目的を与えてくれる。
- 僕は用事がないと人に連絡ができない。
- 遊びだったり、お願いごとだったり。とにかく目的がないと連絡ができない。
贈り物を通じて、僕には人に連絡する理由ができる。
そもそも、自分の仲良い友人や、あるいはとてもお世話になった方が幸せであること自体、とても嬉しい。誕生日も結婚も、それ自体がとても喜ばしい。
- 『好きな人が幸せであること、そのものに想いをめぐらす時間』
- 『どうしたら喜んでくれるか、思索にふける時間』
そういったひとつひとつの時間がとても楽しい。
だけれども、その意味で、僕は相手ではなく、自分のために贈り物をしているように思う。
贈り物は、自己満足だ
自分では認めたくない部分もあるけれど、自分が喜ぶために贈っている。
相手のためにと思って渡すけれど、半ば自分のために贈っているのだ。
もちろん、贈り物そのものの価値は、受け取っている人がどのくらい喜んでくれるのかで決まるような気がする。
その意味で、贈り物は紛れもなく受け取る人のために存在する。
渡した時の反応
すこし迷惑そうにしていたり、びっくりするくらい喜んでくれたり。
相手がこういう反応をしてくれたらいいなという期待と実際の反応には差分がある。
『どうしてもっと喜んでくれなかったんだろう』という思い違いは、自分や相手を苦しめることになる。
だから僕は、贈り物をするときに期待をしない。
相手がたくさん喜んでもらえるようにできる限り思案はするけれど、その労力が報いられることはないと割り切る。
贈り物の楽しさは、相手に渡した時点で完了していて、あとはおまけだと思うようする。
自分が自分のために相手に送るから、相手がよろこんでくれないのは残念だけど、自分には関係ないと思うようにする。
どのようなものを選ぶか
形が残るものと残らないもの
形が残るものは、僕にとっては特別だ。
消耗品や体験など、できる限り形が残らないものにする。
- 使い続けるものや、いつまでも形が残るものは、その人にぴったりに合えばいいけれど、必ずしもそうではない。
- 贈り物を捨てるストレスはものすごく負荷が高い。どんなにどうでもいいものでも、申し訳なさが出てしまう。
- どうしても形が残るものを送りたい時はあるけれど、すこし思案してから贈るようにする。
価格
あまり値段を高くしすぎないようにする。
- お返しをしなくてはいけないのでは、と相手に誤解させないようにする。
- 以前自分が受け取ったものをベースに考えるのがいい気がするけれど、それも少し違うように思う
- 本質的には、自分がその人につかっても絶対に後悔しないと思える金額をベースにする。
前者と後者は背反するときもある。毎日が誰かの誕生日なわけだし、予算ベースで決めることが一番いいのかもしれない。
価値について
価値は希少性と必要性で決まる。
要は、その人が欲していて、できるだけ珍しいものであればいい。
希少性は、『世の中』にどれほど供給されていないか、ではなく、『その人にとって』供給されていないかどうか、を考える。
- 例えば、5000円のバッグはその人にとってありふれたものかもしれないが、5000円のボディソープは珍しいかもしれない。
- 必ずしもお金をかける必要はない。人は何に対してどの程度のお金をかけるのか?という予算感を持っている。
- 予算を10倍超えるものは、世の中的にありふれたものでも、その人にとっては珍しいものになる。
5000円を超えるボディソープの例:Aesop
その人が必要としているものを見つけることは難しい。
- 必要としているものは往々にして相手の得意分野である。しかし、これへ迂闊に飛び込んではならない。
- ジャニーズが好きな女性に、嵐のCDをプレゼントできるだろうか?
- ワイン好きの友人に、コルク抜きを渡せるだろうか?
- 消耗品や、体験の贈り物など『なくなるもの』であれば『すでに持っている』は避けられるかもしれない。
- 普段からよくその人を見ていて、どんなことを必要としているかについて考える:これはとても難しくて、正解がない。
いろいろ考えても、どんなに長い時間考えても、何度試しても、思ったより喜ばれなかったり、どころか、相手に嫌な思いをさせたり、そんなことを繰り返す。