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良い文章について

 
 

良い文章を書きたい

 
文章を書くことが好きだ。
 
それは、以前書いたように、文章を書いて世に問うことは、自分の存在価値の証明につながる(と僕が勝手に思っている)し、創作物を作るような達成感を味わえるからだ。
 
ただ、もっと大きな理由として、「自分も良い文章を書いてみたい」という欲求もある。
 
大学生の頃、自分よりも圧倒的に優れた記事を読んだことがある。
ある種の感動だ。『自分もこんなものを作ってみたい』と、その日から頭から離れなくなった。
 
2人の著者から影響を受けた。
 

(1)chibicodeさん

ロングセラーの『Factfullness』の共訳者。米国在住のエンジニア(現在はVercel社)
 
残念ながら、chibicodeさんが過去に書いた文章のほとんどは読めなくなってしまったので、記憶はかなり朧げだ。
※古くなったことや移行コスト等の兼ね合いから本人の意向で非公開にされたとのこと。
 
覚えているのは2本の記事。
 
1つは、FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグが、ニューアーク(アメリカ・ニュージャージー州最大の都市)の教育改革に奔走する様子を描いた本『prize』の部分的な翻訳と書評、体験談を添えた記事。
 
そして、もうひとつは、シリコンバレーの家賃がなぜ高いのか(こちらはスライド形式)という記事。
 
いまでも、文章を読んだ後の衝撃が忘れられない。
 
興味深いテーマ。緻密な構成力。無駄のない、それでいて確かな表現力。膨大なリサーチ。
かなりの文章量だったにも関わらず、まったく長さを感じさせなかった。読んだ後の満足感がすごかった。記憶を消して、もう一度読みたい、と何度も思った。
 
 

(2)yamottyさん

小売のDX化に挑むスタートアップ:株式会社10XのCEO。イトーヨーカドー等、大手と提携したネットスーパーアプリなどが有名。
 
特に好きな記事は、『10Xなプロダクトを創る』という記事。
 
考え抜かれたことが伝わってくる文章で、1つ1つのセクションが非常に興味深い。
 
  • 『神は順序に宿る』
  • 『真のオープンさ』
  • 『わかりやすさ、は機能に勝る』
  • 『10倍良いものは「違うもの」である』
等、味わい深いフレーズがずらりとある。
(もちろん、引用やオマージュもあるが、それにしたってセンスが良すぎる)
 
読み返すたびに発見があることも面白い。
 
解釈の分かれないように、あるいは、決意がこもっているためなのか、動詞や断定形で終わることが多い。
 
シンプルさやロジカルさなどが、文章から力強く感じとれたこと。
当時気になっていた、スタートアップ・新規事業というテーマに密接に関わっていたこと。
 
これも、何度も何度も、折を見て読み返した。
 
 

良いと感じる文章の特徴

 
僕は文章に、納得と発見を求めているのではないか、と考えている。
 
思うに、記事は2タイプに分かれる。
感情的なもの(Essay)と、論理的な文章(Report)だ。
※もっとも、英語圏では論文のことをEssayというらしいが。
 
Essayは、共感と驚きの積が記事の質を決めていると感じることが多い。
 
書き手が読み手の言語化できなかったことを見事に表現したり、あるいは、読み手が書き手の追体験をしたりすることで、最終的に、書き手に対して強く共感する瞬間が生まれる。
これが、文章を読む楽しさに直結している。
 
必ずしも、読み手と書き手が同一の意見でなくともよい。
 
むしろ、自分とは異なる意見(あるいは知見をもたない領域)だったにも関わらず、
読み進める中で『自然と書き手に強く共感してしまう』という驚きが、落差の分、読後感の心地よさを演出する。
 
Reportは、意見の斬新さと論理性の高さの積だ。
 
当たり前すぎると論理性が強くても面白さがない。
※1+1=2だ。走ると疲れる。斬新でない事実に、なんの面白さがあろうか?
 
斬新でなくてはいけない、しかし、論理的である必要もある。
当然、荒唐無稽な話を読みたいわけではない。
※たとえば『ワクチンは効かない』と主張するのは自由かもしれないが、どんな実験を行なった上での結論だろうか?
 
すなわち、納得(共感・論理性)と発見(驚き・斬新さ)をどの程度感じられるかが、文章の質の大枠を決める。
 
そして、その質は、文章のリアルさ、確からしさから来るものだ。
この確からしさの厚み・切れ味を底上げするには、思考の積み重ねと手を動かすことが必要になる。
 
例えば、みかんがとてつもなく好きで、美味しいという文章を書く時、
 
  • 『手を動かす』
    • みかん協会なるものがあるとして、どんな基準で、みかんの美味しさの品質・グレードを決めているのか。
    • 文献を読み漁ったり、関係者に話を聞いたり、アンケートを取ったりする。
    • 実際にみかんを食べ比べする。他の果物と比較実験をする。
    • 丁寧にリサーチを行い、時間をかけていく。
 
  • 『思考の積み重ね』
    • そもそも、美味しいと感じるとは何か?
    • 甘さを美味しさと感じているとしたら、他の甘いものより、みかんが好きな理由はなんだろうか
    • 自分の表現に対して問いを重ねていく
 
これらによって、良い『みかんが美味しい』文章が作れると思う。
 
そして、最後に、文章自体の読みやすさが必要になる。
 
美味しい料理も、食べにくいと美味しさを十分に感じられないのと同じように、文章の質が高くても、読みやすさがなければ、質が高いようには感じにくい。
 
 
長すぎる一文、誤脱、『である』と『だ』の混在や、同じ表現の連続等、そもそも読みにくいと、文章を楽しむことができない。これは、要は、『推敲』のことだ。
 
 

いつの日か

 
今のところ、納得のいく良い文章を書けたことは一度もない。
好きだけど、下手の横好きという感じだ。
 
それでも僕も、一度でいいから書いてみたい。
それに、良い文章が書けることを武器にしたい。
 
そんなわけで、今年は1週間に1記事書くことを目標にした。
また、仕事でも考えをきちんと文章に落とすようにしている。
 
最近わかった文章を書くコツとしては、とにかく長い時間、散歩やサイクリングをすることだ。
 
1時間、下手したら2時間くらい、スマホも触れない中で、いろんな景色を見ながら運動する中で、いろんな思考が頭の中を巡る。
 
その思考を逃さず書く。
 
書いたらそのまま公開してしまう。
公開すると不思議なもので、いろんな表現が気になって、すごく粗に気づく。
 
繰り返し読み返すうちに、表現が気になって、また書き直す。
 
そうして、何度も何度も書き直すうちに、多少は納得のいく文章がかける(時もある)。
 
いつか、昔の僕が彼らの記事に影響を受けたように、
僕が書いた文章が誰かに影響を与えることを願う。
 
僕は、きょうも書く。
 
そして、あしたも。