✉️
手紙:podcastをしていてよかったこと
podcastを始めてから5ヶ月が経過、配信回数は32回になった。*なんとも中途半端な数字だ。
意外と続かないような気がしていたので、きちんと続いていることに自分のことながらすこし驚きがある。
始めるか迷っている人がいたら教えてほしい。
ほんのすこしくらいは力になれると思う。
podcastを始める前に得られると思っていた効用は、
- まだ黎明期の分野に足を踏み出す体験がしたい
- 音声コンテンツにすごく救われたから、この営みに参画したい
くらいのことだった。

でも、始めてみると他にも良いことがあったので、メモしておきたい。
まずは1つ目。『生活に違った視点が得られること』だ。
ネタになりそうなもの、という視点で物事を見直すと、違ったふうに見えてくることがあって、それがたのしい。
カナヅチを持てば全てが釘に見える、とはよく言ったもので、ネタを考える機会としてみると、日常生活のコンテンツ感が(多少)増す。
また、自分のインプットを増やさないと、と思い、本をさらに読むようになった。
いい傾向だ。
2つ目。自分の会話の(わるい)癖を客観的に見つめ直すことができること
僕にはひどい会話の癖がある。
- 人の話を全然聞いていないときがあること
- 余計なことを言っていること(=『言いたい欲』が勝ちすぎて、蛇足を付け足しているときがあること)
- 全然人に伝わらない例えを自信満々に話すことがあること
…あげたらキリがない。
(最も、自分の癖だからひどく思うだけで、他人は全く気にしていない可能性もあるが)
収録空間ですらそうなのだから、普段の僕は無意識に人に不快な思いをさせてしまっているのかもしれないと思うと、気づけてよかった。
(まあ、治すのはとても難しいだろうが、気づくことがまずは大事だ。)
会話を客観的に聞き直す経験は営業職でもない限りはしないと思うし、
僕にとってはいい経験だ。
これからも会話を避けることができないと思うと、これは複利の資産になるように思う。
そして、3つ目。思わぬ会話につながること。
このエッセイのなかで書きたかったことの9割はこれだ。
ずいぶん長い前置きになってしまった。
僕は、高校時代のある日の授業での現代文の恩師(仮に、M先生とする)が話していたことをpodcastのなかで言及した。
高校を卒業してから10年以上経っているのに覚えているというのは、まあすごい方なのではないか、という気がする。
そのくらい、僕はM先生の授業が好きだった。
数学科に進学したのも、いまでも本を読むことが多いのも、文章を書くことが好きなのも、M先生の影響のような気すらしてくるのだ。
そう思うと、感謝というか、畏敬の念というか、いろいろなものが込み上げてきて、久々にFacebookのMessengerで連絡をとった。
そこから2ヶ月ほどして、ようやく返事がきた。
ただその返事は、M先生ではなく、親族の方からだった。
M先生は、僕が連絡を取った1ヶ月ほど前に亡くなっていたのだ。
教え子から慕われていたことを知れて嬉しかった。
本人の存在が、教え子の中で生きていることが嬉しかった。
きっと喜んでいると思う。温かい気持ちになった。
そのような旨の言葉をかけていただいた。
僕は突然の事実にショックを受けて、なんでもう少し早く連絡しなかったんだろうと後悔した。
親族の方にM先生がいかに素晴らしい方だったか、どのくらい感謝しているのかを伝えた。
podcastをしていなかったらM先生が亡くなったことを知るのはもっともっと先になったと思う。
なによりも、M先生の存在が僕という教え子の中で生きていることを伝えられて本当によかった。
もちろん、素晴らしい先生だから、きっと他にも多くの方から感謝を言われているだろうに違いない。
先生が抱えた、たくさんの教え子からの感謝が、たったひとつ増えたに過ぎないけれど、
自己満足かもしれないけれど、親族の方にこのことを伝えられて本当によかった。
本当に素敵な授業をしてくださり、ありがとうございました。御冥福を祈ります。