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後世への最大遺物|内村鑑三・現代語版(全文)
はじめに
この本を読み終えるまでに、僕は5回くらい挫折した。
内村鑑三の『後世への最大遺物』。
以前の記事にも書いたけれど、僕に『事業開発』という言葉を教えてくれたのは、最初の上司だった。その人は大学生の頃にこの本を読み、事業を作り続ける人になりたいと思ったらしい。
僕も読んだ。
明治時代の言い回しと、講演を書き起こした長い文章に、何度もつまずいた。
それでもなんとか読み通して、今も折に触れて読み返している。
それくらい、いい本だった。
だから、もう少し読みやすい形にして、ここに置いておきたいと思った。昔の僕と同じように、途中で何度も閉じてしまう人にも、最後まで読んでもらえたらうれしい。
この現代語版について
先に、著作権と、この文章の作り方について書いておく。
青空文庫の取り扱い規準では、著作権が切れた作品の複製・再配布・翻案が認められており、事前の許諾や対価の支払いも不要とされている。この規準に沿って、著者名と出典を明記し、個人で編集した現代語版として掲載している。
そしてこちらは、当サイトの免責事項にある『無断転載の禁止』の対象外とする。
現代語化にはLLMを使った。
長い文を分け、今では馴染みの薄い言い回しを置き換えた。本文中の小見出しも、読み進める手がかりになるよう加えた。
たとえば、最初の『はしがき』には、こうある。
事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれどもまた多少一般の人生問題を論究せざるにあらず、これけだし余の親友京都便利堂主人がしいてこれを発刊せしゆえなるべし、読者の寛容を待つ。
要するに「キリスト教と学生についての話が中心ですが、人生全般に関わる問題にも、いくらか触れています。親友である京都・便利堂の主人が、ぜひ出版したいと勧めてくれたのも、そのためでしょう。どうか寛大な気持ちでお読みください」と、読めるだろうか。
あるいは、第1回の講演には、こんな一文もある。
しかしながら何人も金を溜める力を持っておらない。
『誰にもお金を蓄える力がない』とも読める。けれど前後を読むと、お金を蓄えることにも才能がいる、という話をしている。
Not All(全員というわけではない)と読んだ方が良さそうだ。「しかし、誰もがお金を蓄える力を持っているわけではありません」と、僕は解釈した。
また、こういう問いかけも出てくる。
私は諸君たちもソウいうような考えにどこかで出会ったことはないことはないだろうと思います。
「皆さんも、どこかでそういう考えに出会ったことがあるのではないでしょうか」と、僕は解釈した。
こういう、うまく読むことが難しい言い回しがある。
これをほどいてみると、身近な話をしていることが分かる。けれど、こういうところで何度も立ち止まると、話の続きまでたどり着く前に疲れてしまう。
僕が読みやすくしたいと思ったのは、そういう部分だ。
一方で、話が進む順序や具体的なエピソード、講演中の笑いや問いかけは、できる限り残すようにした。その場で語られた言葉の熱も、伝わってほしかったからだ。
ただ、言葉を置き換える以上、響きや含みまで完全に再現することは難しい。読みやすくする過程で、こぼれ落ちてしまうものや、解釈が入り込む部分もある。その点は、ご容赦いただきたい。
気になる箇所があれば、ぜひ原文とも見比べてみてほしい。言い換えによって意味がずれている箇所に気づいたら、教えてもらえるとありがたい。確認して、必要な修正をしていきたいと思う。
この本は、内村鑑三のキリスト教信仰に根ざした講演だ。
内村は、神が治めるこの世界には希望があり、正義は最後には勝つと信じている。その信仰が、困難の中でも希望を失わず、信じることを実行して生きようという、講演の結論を支えている。
この現代語版でも、そうした信仰を含め、原著の考えの筋道を残すことを大切にした。
当時の社会観や、歴史上の出来事についての説明も含まれている。今の感覚では、違和感を覚える記述もあると思う。
130年以上前の講演であることを踏まえ、原著者の意見と、紹介する僕自身の意見は、分けて受け取ってもらえたらと思う。
わざわざ現代語訳をつくる理由
僕の考え方は、いろんな人から受け取った言葉でできている。
上司に教わったこと。恩師の授業。友達と話したこと。ある日、たまたま開いた本の1ページ。
それらが、仕事の選び方や、人との関わり方や、自分がどうありたいかを、少しずつ変えてきた。
恩師が亡くなったあとにも、教わったことは自分の中に残っている。会わなくなった人の言葉に、ずっとあとになって助けられることもある。
人が残すものは、思っているよりも長く、遠くまで届くのだと思う。
この本もそうだ。
内村鑑三の言葉が上司に届き、その上司から、僕は仕事の面白さをすこし教わった。そして今度は、僕がこの本を誰かに届けようとしている。
そう考えると、『後世に何かを残す』という話が、自分の生活のすぐ近くにあるものに思えてくる。
僕は、良い事業をつくる、営みに関わっていたい。
残すことに貢献した、と思える人生を過ごしたい。
この本は、お金や事業、思想を残すことの価値を、何度も語っている。そして最後に、それらにも勝る贈り物として語られるのが、『勇ましい高尚なる生涯』だ。
失敗しても、もう一度取りかかる。少数であっても、正しいと信じる側に立つ。弱い立場にいる人を助ける。
そうして生きた人の姿が、後の誰かに『自分もやってみよう』と思わせる。その生涯そのものが、後世への贈り物になる。
僕も、そういう生涯を送りたい。
思っているだけなら簡単だ。実際には、できなかったことや、逃げてしまったことがたくさんある。だからこそ、ときどきこの本に戻って、自分の振る舞いを問い直したくなる。
自分に命を与え、育ててくれた世界に、愛情のしるしを残して去りたい。内村は、そんな願いから話を始める。
生まれたときよりも、少しでも世の中をよくして去りたい。
僕は、その願いをとても美しいと思う。
お世話になった人すべてに、直接恩を返せるとは限らない。それでも、教わったことを自分の行動に変え、次の誰かのために使うことはできる。
この本を読みやすくして、誰かに渡すことも、僕にできるひとつの仕事だと思う。
古い言葉が読みにくいという理由で、この文章と出会えない人がいるとしたら、すごくもったいない。
自分には何が残せるのだろう、と考えている人に、今の言葉でこの本を渡したい。そして僕自身も、ここに書かれたことを、自分の生活の中で実行していきたい。
それが、この現代語版を公開する理由だ。
少し長いけれど、よかったら読んでみてほしい。
(3万8000字近くある。問題ないかの読み直しには骨が折れた。
時代と逆行するが、ハッキリいってスマホで読むには全く向いてない文章だ。
ご容赦いただきたい)
現代語訳本文
原著:内村鑑三
青空文庫収録の原文をもとに、3つの序文と全2回の講演を、現代の日本語に書き換えた私家版です。原文の順序、論旨、具体例を保ち、長い文を分けて段落を整えました。読書の手がかりになる小見出しは、この版で追加しています。
題名の「遺物」は、ここでは「自分が死んだあと、後の世代に残すもの」という意味です。本文の「今」「今日」などは、それぞれの講演・執筆当時を指します。歴史上の出来事の説明や評価も、原著者の語りとして伝えています。
はじめにこの現代語版についてわざわざ現代語訳をつくる理由現代語訳本文はしがき再版にあたっての序文改版にあたっての序文第1回の講演静かに、率直に話したい歴史に名を残したいという願いこの世界を愛した証拠を残すお金を残すという仕事蓄える力と、使う力事業を残すという仕事一人の仕事が、次の時代へ広がる第2回の講演思想を残すという仕事書かれた思想が、世界を動かす文学は、未来に向けて続ける戦い自分が感じたことを、そのまま書く借り物の議論より、自分自身の言葉を教えることにも、特別な力がいる誰にでも残せるものは、ないのか最大の贈り物は、勇気を持って気高く生きた人生後の人を動かす、生きた力を残す二宮金次郎が残した、生涯の贈り物人が行きたがらないところへ行き、人が嫌がることをする困難に打ち勝つことが、後世への贈り物になる何も残せなくても、真剣に生きた人として原文・底本と、この版について
改版にあたっての序文
この講演をしたのは1894年、日清戦争があった年です。今から31年前、私がまだ33歳で、働き盛りだったころ、海老名弾正さんの司会で、箱根の山の上、芦ノ湖のほとりで話しました。
その年に娘のルツ子が生まれました。私は娘をその母親とともに京都の仮住まいに残して、箱根へ講演に来たのでした。その娘は、すでにこの世を去りました。また、この講演を初めて一冊の本にして世に出してくれた親友、京都・便利堂の主人、中村弥左衛門さんも、ついこのごろ亡くなりました。
この本ができてから、世の中はほかにも大きく変わりました。この本を読んで志を立て、成功した人が大勢いると聞きます。その中には、私と同じようにキリスト教徒になった人も少なくないそうです。
もっとも、その人たちの中には、とっくにキリスト教を立派に「卒業」して、今では自分を背教者と呼んでいる人もいます。この本によって信者となり、キリスト教の文筆家になったあと、著者である私に攻撃の矛先を向ける人もいます。世の中は、実にさまざまです。
それでも私は、幸いにも今日まで生きて、この本に書いたことから大きく外れることなく、自分の生涯を送ってこられたことを神に感謝しています。そして、この小さな本そのものが、私の「後世への最大遺物」の一つになったことにも感謝しています。
「天地には始めも終わりもないが、人の命には誕生と死がある」。そのとおりです。しかし、誕生と死のある人生にも、死ぬことのない命を得る道が用意されています。天地が消えても、消えないものがあります。そのようなものを、たとえいくらかでもつかめたなら、その人生は本当の成功であり、大きな満足でもあります。
私は、これからさらに30年も生きるとは思いません。しかし、これまで30年間生き残ってきたこの本は、これからさらに30年、あるいはそれ以上、生き残ると考えてもよいでしょう。
最後に、この小さな著作を、最初の出版者である故・中村弥左衛門さんに捧げます。天にあるその魂が、安らかであることを祈ります。
1925年(大正14年)2月24日
東京市外・柏木にて 内村鑑三
第1回の講演
静かに、率直に話したい
季節は夏、場所は山の上です。ここで私が身ぶり手ぶりを交え、自分の血を熱くして、皆さんの熱血を沸き立たせることも、できるかもしれません。しかし、それは私の好みではありませんし、皆さんも、それほど望んではいないでしょう。
キリスト教の演説会で、話し手が腰をかけて話すのは、ひょっとすると、この私が最初かもしれません。(会場、大笑い)
それでも、こうするほうが私の目的に合うのであれば、前例を破って、皆さんとゆっくり腰をかけて話してもかまわないと思います。これも、秩序を壊したがる者のすることだと思ってくださって結構です。(拍手喝采)
私は「後世への最大遺物」という題を掲げました。この問題について、これまで考えてきたこと、今感じていることをすべて話すと、いつもの1時間を超えてしまうかもしれません。長くなってつまらなくなったら、どうぞ自由にお帰りください。私も疲れたら、途中で休ませていただくかもしれません。あまり長くなれば、明日の朝にも1時間いただいていますので、そのときに続きを話しましょう。
このように清らかで静かな場所にいるときは、東京などの騒がしい場所で、皆が興奮しているときのような、騒々しい演説はしたくありません。ここでは皆さんと膝を交えるように、感じていることをそのまま話し、質問にもお答えしたいと思います。
歴史に名を残したいという願い
この夏期学校に来る途中、私は東京に立ち寄り、父と詩の話をしました。父は、頼山陽の古い詩集を出してくれました。私が初めて山陽の詩を読んだのは、父からもらった、この本でした。(本を手に持つ)今回、その詩集をまた持ってきました。
その中には、幼いころの私の心を励ました詩があります。皆さんもご存じでしょう。山陽の詩集のいちばん初めに載っている、13歳のときの有名な詩です。現代の言葉で言えば、こういう意味です。
「13年の歳月が過ぎた。過ぎ去る時は、流れる水のようだ。天地には始めも終わりもないが、人の命には誕生と死がある。どうすれば昔の偉人のようになり、千年先まで歴史に名を残せるだろうか。」
自分の人生を振り返ると、まだ外国語学校に通っていたころ、この詩を読んで深く共感したのを覚えています。私は子どものころから体が弱く、社会的な立場もなければ、世の中に引き立ててくれる人脈もありませんでした。それでも私も、歴史に名を残すほどの人間になりたいと思ったのです。
その願いが悪いものだとは、少しも思っていません。父や友人に話すと、たいへん喜んでくれました。「それほどの志があるなら、お前の人生は頼もしい」と言ってくれたのです。
ところが、その後キリスト教に触れ、この国で一般に説かれていた教えを受けると、若いときに持っていた、歴史に名を残したいという願いが、だいぶ薄れてきました。何となく、この世を嫌うような気持ちになったのです。
歴史に名を残そうとするのは、肉の欲にとらわれた、信仰のない、異教徒的な考えなのだ。キリスト教徒は功名を求めてはいけない。後世に名を伝えたいなどという願いは、根こそぎ捨てなければならない。そう考えるようになりました。
そのため、以前より清い生き方になったのかもしれません。しかし、以前よりつまらない人生にもなりました。できるだけ罪を犯さず、神に逆らう汚れたことをせず、ただ立派にこの一生を終え、キリストによって天国に救われ、永遠の喜びを得たい。そういうことばかりを願うようになったのです。
その生き方にも、一種の喜びはありました。しかし、以前とは正反対の気持ちでした。この世で何か仕事をしよう、自分の旗を掲げよう、男として堂々と生きようという思いが、ほとんどなくなってしまったのです。宗教の殻に閉じこもり、消極的で、古い考えにとらわれるようになりました。
私だけではありません。私を教えてくれた人たちも、そうだったのです。……ここには宣教師がいないので、少し悪口を言っても許していただけるでしょうが……宣教師のところへ行って自分の希望を話すと、こんなふうに言われることがありました。
「そんな希望を持ってはいけません。それは欲です。あなたの心の中に、まだキリスト教によって変えられていない部分があるから、そういう気持ちが起こるのです。」
皆さんも、どこかで、こういう考えに出会ったことがあるのではないでしょうか。
確かに、歴史に名を残したいという願いは、その中身によっては、たいへん卑しい考えになり得ます。短い一生を終えたあと、後の世の人たちに自分の名を褒めたたえてもらいたいというだけなら、私たちが持つべきでない願いとも言えるでしょう。
昔のエジプトの王が、自分の名を永遠に伝えようとして、ピラミッドを造ったようなものです。自分が国の王だったことを人々に知らせるために、大勢の民衆を働かせて巨大な建物を造る。そういう考えは、キリスト教徒が持つべきものではないと思います。
有名な「天下の糸平」は、亡くなるとき、「自分のために、とてつもなく大きな墓を建てろ」と遺言したそうです。その墓には、日本の有名な人に「天下の糸平」と書いてもらうように、とも言い残しました。東京の牛の御前へ行くと、立派な花崗岩に伊藤博文さんが「天下之糸平」と書いた碑が建っています。
千年先まで、「天下の糸平」という自分の名を伝えたい。その思いは、キリスト教的な考えではないだろうと私は思います。
同じような例は、ほかにもあります。このあいだ、アメリカの新聞で読んだのですが、大金持ちの未亡人が、こんな望みを持ったそうです。
「死んだあとも、自分の名前を国の人たちに覚えていてほしい。学校や病院に寄付するのは、普通の人がすることだ。私は、世界のどこにもない大きな墓を造って、千年先まで記憶されたい。」
その墓が、先日完成したそうです。どれほど立派なのかは知りませんが、費用を聞いて驚きました。200万ドルかかったというのです。自分の墓に200万ドルものお金を使うのは、確かにキリスト教的な考えではありません。
しかし、意味を正しく考えれば、歴史に名を残したいという願いは、それほど悪いものではありません。それどころか、キリスト教徒も持ってよい、むしろ持つべき願いではないかと思います。
私たちの人生観からすれば、この一生は、永遠の未来へ進むための階段です。大学に入る前の予備校のようなものです。人生が、わずか50年ほどで消えてしまうだけなら、実につまらないものです。
私は、永遠の未来に向けて自分を準備するために、この世に来たと信じています。私が流す涙も、心に湧く喜びも、喜怒哀楽の変化の一つひとつも、魂を少しずつ形づくっていく。そして最後には、死なない命を持つ者となり、この世を去ったあと、さらに清い生涯をいつまでも送る。これが私の確信です。
ただ、それは純粋に宗教上の問題です。今晩、皆さんにお話ししたいのは、そのことではありません。
この世界を愛した証拠を残す
私には、一つの希望があります。
この世を通り過ぎ、安らかに天国へ行く。予備校を卒業して、天国という大学へ入る。それだけで十分なのかと自分に問いかけると、私の心には、一つの清い願いが起こります。
50年の命を与えてくれた、この美しい地球。この美しい国、この楽しい社会。私たちを育ててくれた山や川。これらに何も残さずに、死んでしまいたくはない。
死んで天国へ行くだけでなく、この世にも何か一つ残していきたいのです。それは、後世の人に自分を褒めてもらいたいからではありません。名誉を残したいのでもありません。ただ、自分がどれほどこの地球を愛し、この世界を愛し、同じ世界に生きる人々を思ったか。その証拠となるものを、この世に置いていきたいのです。英語でいう「メメント」、思い出や愛情のしるしです。これは、美しい願いだと思います。
アメリカにいたときにも、この思いが何度も心に浮かびました。アメリカの大学を卒業して去るとき、私は仲間と一緒に、卒業式の日に校内へ記念の木を1本植えました。4年間育ててもらった学校に、自分たちの愛情を残しておきたかったのです。裕福な同級生の中には、それだけでは満足せず、音楽堂や図書館、運動場を寄付する人もいました。
では私たちは、この世界という学校を去るとき、何も残さずに行くのでしょうか。
そう考えると、私にはやはり、歴史の中に何かを残したいという願いがあります。この地球に、自分が地球を愛した証拠を置いていきたい。人々を愛した記念となるものを置いていきたいのです。
私たちは、この世に生まれてきました。やがて喜びに満ちた国へ行くとしても、この世にいるあいだに、少しでもこの世をよくしていきたい。自分たちが生きた愛情のしるしを、残していきたいのです。
有名な天文学者ハーシェルは、20歳くらいのとき、友人にこう言ったそうです。
「親愛なる友よ。私たちが死ぬときには、生まれたときよりも、少しでも世の中をよくして去ろうではないか。」
なんと美しい、青年の願いでしょう。「自分が死ぬときには、生まれたときよりも、少しでも世の中をよくしていこう」と。
ハーシェルの伝記を読んでみてください。彼は、この世をたいへんよくして去った人です。それまで知られていなかった天体を、詳しく記録しました。アフリカの喜望峰の植民地に何年も滞在し、南半球の星をことごとく星図に載せました。そのおかげで、今の天文学者たちの知識は、どれほど豊かになったかわかりません。
それによって航海が進み、商業が進み、人類が進歩し、ついには外国へ宣教師を送り出すこともできるようになりました。直接にも間接にも、キリスト教を広めるうえで、どれほど助けになったかわかりません。
私たちもハーシェルと同じように、このような志を実現したいではありませんか。死ぬまでに、少しでも世の中をよくしたいではありませんか。何か一つの仕事を成し遂げ、できることなら、生まれたときよりも、この日本を少しでもよくして去りたいではありませんか。この点では、皆さんも同じ思いだろうと思います。
では、何を残すのか。何を置いて、この愛する地球を去るのか。それが次の問題です。
私も考えてきました。考えるだけでなく、何度も実際に試みました。何かを残したいと思い、これを残そうと取り組んできたのです。
後世に残せるものは、いろいろあるでしょう。そのすべてを話すことはできません。まずは、私たちの頭に最初に浮かぶものから、お話ししましょう。
お金を残すという仕事
後世に残すもので、まず大切なのは何か。お金です。
死ぬときに、遺産を社会に残していく。自分の子どもにだけでなく、社会に残すのです。これは、多くの人が考えることではないでしょうか。
ただ、キリスト教徒の前でこう言うと、「お金を残すなど、つまらないことではないか」と、すぐに反対されるかもしれません。
私は覚えています。1883年(明治16年)、札幌から、いわば山男のような田舎者として初めて東京へ出てきたころのことです。当時の東京では、リバイバルと呼ばれる、不思議な現象が起きていました。信仰を再び盛り上げようとする運動です。
そのころ、後世に何を残そうと考えていたか。私は実業のための教育を受けていたので、もちろん、お金を残したかったのです。莫大な富を日本に残して、日本を救いたいと思っていました。1894年になったら夏期学校の講師に選ばれるなどとは、当時、少しも考えていませんでした。(会場、大笑い)
お金を残したい。大金持ちになりたい。そういう希望を持っていたのです。
ところが、リバイバルにたいへん熱心な牧師にその話をすると、ひどく叱られました。
「お金を残したいとは、何と情けないことを言うのか。そんなものは、どうにでもなる。君は福音のために働きなさい。」
そう戒められましたが、私は決心を変えませんでした。今でも変えていません。お金を残す人を卑しいものと見る人は、その人自身がお金について卑しい考えを持ち、けちなのだと思います。
ここでお金の価値を長々と説明する必要はないでしょう。お金が必要なことは、皆さんも十分にわかっているはずです。
お金はこの世界にあるものだから、いつでも手に入るという人に、フランクリンは「それなら、今、作ってみなさい」と答えたそうです。私に「お金などいらない」と言ったあの牧師も、あとから聞いてみると、やはりずいぶんお金を欲しがっている人だったそうです。
私たちは、お金など必要になればいつでも手に入ると思いがちです。しかし実際には、必要になってから手に入れようとしても、たいへん難しいものです。
富はどこにでもあり、空中にでも浮かんでいるように思えることがあります。それでも、その富を一つに集めることは、神の大きな助けを受ける人でなければ、できるものではありません。
秋には雁が空を飛びます。誰が捕まえてもよい。しかし、捕まえるのは難しい。誰かの手元に10羽、20羽と集まっていれば、そこに価値があります。「手の中の1羽の雀は、木の上の2羽の雀よりも価値がある」というのは、このことです。
お金も、世界のあちこちに浮かんでいるようなものです。それを集め、後の世の人たちが使えるように蓄えておきたい。皆さんの中にそう願う人がいるなら、私は心から賛成します。
イエス・キリストの名によって、父なる神の名によって、聖霊の名によって、教会のため、国のため、世界のために、「君よ、お金を蓄えなさい」と勧めます。
富を一つに集めることは、一つの大きな仕事です。私たちが直面している問題は、社会の問題でも、教会の問題でも、青年や教育の問題でも、突き詰めていけば、やはりお金の問題に行き着きます。ここまで考えて、それでもお金は不要だと言える人がいるでしょうか。
キリスト教徒の中から、ぜひ金持ちが出てほしい。実業家が出てほしい。私たちが働くときに、その思いを十分に理解し、後ろ盾となって支えてくれる人がいること。それが、今、必要なのです。
お金を後世に残したいと願う若者たちが、神から与えられた道を進み、後の世代のために多くのお金を残してくれることを、私は心から祈っています。
私は、アメリカのフィラデルフィアで、フランス人の有名な商人ジラードが移住後に建てた孤児院を見ました。世界一といえる孤児院です。小学生くらいの子だけで、およそ700人いました。中学生、大学生くらいの年齢まで含めれば、おそらく1,000人以上いたと思います。
その仕組みを見ると、今の日本の孤児院のように、寄付が足りなくなって事業が立ち行かなくなるような施設ではありません。ジラードが、生涯かけて蓄えたお金をすべて投じて建てたものなのです。
彼の伝記を読むと、お金を蓄えた目的は、ただ一つでした。子どもはなく、妻も早くに亡くなっていました。
「妻も子どももいない。自分には、ほかに目的がない。それでも、どうか世界一の孤児院を建てたい。」
そう願って懸命に働き、作ったお金で建てたのです。
アメリカが国として歩み始めて間もないころで、今のように早くお金を蓄えられる時代ではありませんでした。それでも生涯に、およそ200万ドルを蓄えました。そのお金で、ペンシルバニア州に、人が目を向けていない土地をたくさん買ったのです。
亡くなるときには、こう言い残しました。
「このお金で、孤児院を二つ建ててくれ。一つは自分を育ててくれたニューオーリンズに、もう一つは自分が暮らしたフィラデルフィアに。」
少し変わったところのある人だったらしく、教会をたいへん嫌っていました。そこで、こんな珍しい条件をつけて亡くなりました。
「このお金の使い方について、ほかに条件はつけない。ただし、自分が建てた孤児院に、どの宗派の聖職者も入れてはならない。」
そのため、今でも、メソジスト教会、監督教会、組合教会のいずれの聖職者も、お気の毒ですが入れません。(大笑い)それ以外の人なら、誰でも入れます。
孤児院の詳しい仕組みを説明すると長くなるので、ここでは省きます。しかし、先ほどの200万ドルで買い集めたペンシルバニア州の山々からは、今では石炭や鉄が採れています。その資産が今、何千万ドルになっているか、わからないほどです。
どれだけ事業を広げてもかまわない。足りないのは、事業を広げる人だけなのです。皆さんの中にフィラデルフィアへ行く人がいたら、何よりも先に、この孤児院を見に行くことをお勧めします。
また、有名な慈善家ピーボディーは、どうやって大きな仕事を成し遂げたのでしょうか。
初めてベルモントの山を出たとき、彼はボストンへ行って大金持ちになろうと考えていました。一文なしで故郷を出たのです。当時は、もちろん汽車はありません。馬車があっても、お金がなければ乗れません。
ある宿屋で、彼は主人に頼みました。
「私はボストンへ行かなければなりません。しかし、日が暮れて困っています。今夜、泊めていただけませんか。」
主人はかわいそうに思い、喜んで泊めてやろうと言いました。しかし、ピーボディーはこう答えます。
「お金を払わずに泊まるのは嫌なのです。何か仕事をさせていただけるなら、泊まりたいと思います。」
主人は「泊まりたければ、気にせず泊まりなさい」と言いましたが、彼は「それでは申し訳ありません」と言いました。家の周りを見ると、裏に薪がたくさん積んであります。
「お世話になる代わりに、裏の薪を割らせてください。」
主人の承諾を得て、昼過ぎから夜まで薪を切り、割りました。これくらい働けば宿代に見合うだろうというところまで仕事をしてから、泊まったそうです。
そのピーボディーは、一生を何に使ったか。詳しい額は知りませんが、何百万ドルものお金を蓄え、とりわけ黒人の教育のために使いました。今、アメリカの黒人が、おそらく日本人と同じくらいの社会的な水準に達しているのも、ピーボディーのような慈善家の資金による結果だと言わなければなりません。
アメリカ人がお金に弱く、お金によってずいぶん損なわれていることも、私は知っています。それでも、アメリカに富豪がいて、清い目的のためにお金を蓄え、それを清いことのために使っている。それが、今のアメリカの繁栄を生んだ大きな原因であることだけは、私も理解して帰国しました。
私たちの中にも、そういう目的を持って実業に取り組み、お金を蓄える人が出てこなければ、本当の実業家は生まれません。そのような目的を持つ実業家でなければ、何人現れても、国の役には立たないのです。
憲法の発布式のときに、貧しい人たちへ総額1万円を配り、1人当たりでは50銭か60銭になる。そんな程度の慈善なら、かえってしないほうがよいと私は思います。
三菱のように何千万円も蓄えて、今日まで何をしてきたでしょうか。……これからは、よい事業をするだろうと信じていますが……今日までを見れば、自分の勢力を大きくし、立派な家や別荘を建てた。しかし、それによって日本の社会が何を得たかといえば、見るべきものが何一つありません。
だからこそ、キリスト教徒が立ち上がり、キリスト教徒の実業家が生まれてほしいのです。自分のためにお金をもうけるのではなく、神の正しい道と、この世界の正当な法則に従って得た富を、国のために使う。そういう実業の精神が、私たちの中に育ってほしいのです。
今の日本に、そうした実業家が生まれることを、私は神学校の学生が増えること以上に願っています。今は、キリスト教徒の中に神学生が10人いても、実業家は1人もいません。100人いても、1人もいない。1,000人いても、実業家は1人いるかいないかというほどです。お金を通じて神と国に仕えようという、清い願いを持つ若者がいないのです。
よく聞く紀ノ国屋文左衛門の話のように、100万両を蓄えて100万両使ってみようという、卑しい考えを持つのではない。100万両を蓄え、100万両を神のために使ってみよう。そんな実業家になりたい。そういう実業家が欲しいのです。
その100万両を、国のため、社会のために残していこうとする願いは、実に清いものです。私自身も、できることなら、そうしたいと思っています。しかし残念ながら、私には、その方面の能力がありません。
皆さんの中にその希望を持つ人がいたら、教育などの仕事に携わっている人たちは、「君の仕事は程度の低い仕事だ」などと言って、その人を落胆させないようにしてほしい。そして、その希望を持つ本人も、これは神が自分に与えた使命なのだと考え、十分に自分を励ましてほしいと思います。
あるアメリカの富豪が、子どもに遺産を渡すとき、こう言ったそうです。
「このお金をお前に譲るが、この中に、汚い方法で手に入れたお金は1銭もない。」
私たちが欲しいのは、そういうお金なのです。
蓄える力と、使う力
後世に残すもので、まず大切なのはお金だと述べ、その必要をお話ししました。しかし、誰もがお金を蓄える力を持っているわけではありません。これも一つの天賦の才能ではないかと思います。残念ながら、私には、その才能がありません。
お金を蓄える才能のある人は、耳がたいへん大きく、下へ垂れているそうです。鏡を見てみると、私の耳はずいぶん縮こまっています。どうも、その才能はないらしい。(大笑い)
教え子の中には、この才能に非常に恵まれた者がいます。ある者などは、一文なしで北海道へ放り出されたのに、今では私の10倍もの財産を持っています。「いつか私が貧乏になったら、君が助けてくれ」と言っておきました。
お金をもうけることも、ほかの職業と同じように、ある人にとっては天職なのです。誰でももうけられるかというと、私は疑問に思います。お金もうけに心を向けるべきではない人が、お金をもうけようとすると、たいへん見苦しく見えるものです。
そればかりではありません。お金は、後世に残す大きな財産の一つですが、残し方が悪いと、ずいぶん害を与えます。だから、お金を蓄える力だけでなく、使う力を持つ人が必要なのです。
有名なグールドは、生きているあいだに2,000万ドルを蓄えました。そのために親しい友人を4人も自殺に追い込み、あちらの会社、こちらの会社を倒して、その額を集めたのです。ある人は、「グールドが、1,000ドルというまとまったお金を慈善に出したことは、一度もない」と言いました。
では、死ぬとき、そのお金をどうしたか。自分の子どもたちに分け与えて、亡くなっただけでした。つまりグールドは、お金を蓄えることを知っていても、使うことを知らなかったのです。
お金を後世への贈り物にしようとするなら、蓄える力と、それを使う力の両方が必要です。この二つについて考えず、十分に心も決めないままお金を蓄えるのは、たいへん危険だと思います。
事業を残すという仕事
では、私のようにお金を蓄えるのが下手な人、あるいは蓄えても使う力のない人は、何を後世に残せばよいのでしょうか。
私には、とても金持ちになれる見込みがありません。その考えは、もう10年ほど前に捨ててしまいました。すると、お金を残せないなら何を残すのか、という現実の問題が出てきます。
お金よりもよいものは何かと考えると、事業です。事業とは、お金を使うことです。お金は人の労力を表すものですから、その労力を使って具体的な仕事に変え、その仕事を残していくことができます。
お金を得る力がなくても、事業をする人はたくさんいます。富豪と事業家は、別の種類の人のように見えます。商売をする人と、お金を蓄える人でも、人柄が違うようです。大阪の人はお金を使うのがたいへん上手ですが、京都の人は蓄えるのが上手です。東京の商人に聞くと、お金を持っている人には商売はできず、お金のない者が、人のお金を使って事業をするのだと言います。
純粋に事業をする人の成功は、財産の大きさでは測れません。グールドは、決して事業家ではありません。バンダービルトも、そうではありません。バンダービルトは、お金を作るのがたいへん上手でしたが、それによって他の人の事業を助けた人です。
カリフォルニアの有名なスタンフォードも、お金をもうけるのがたいへん上手でした。彼には3人の友人がいました。その人たちにも面白い話がありますが、時間がないので、ここでは話しません。ともかく、お金をもうける人もいれば、それを使う人もいるのです。
お金を蓄えて残す力がなくても、神は私に、事業をする才能を与えてくださったかもしれません。そうなら、お金を残せなくても、事業を残せれば十分に満足です。
事業を成し遂げることが美しいのは、もちろんです。いちばんわかりやすい例は、土木の仕事でしょう。私は土木の専門家ではありませんが、土木の仕事を見るのが大好きです。一つの土木事業を残すことは、自分にとって喜びであるだけでなく、長く続く喜びと富を、後の世代に残すことではないかと思います。
今日も船に乗って、湖の向こうへ行きました。南のほうに水門があります。その水門は、山の裾をくぐるトンネルになっています。そのトンネルを通って湖の水が沼津のほうへ流れ、2,000石から3,000石もの米がとれる田を潤していると聞きました。
昨日、友人から、その穴を掘った話を聞きました。聞いていて、実にうれしくなりました。
穴を掘ったのは、今から600年ほど前の人だろうということです。誰が掘ったのかは、わかりません。ただ、次のような言い伝えだけが残っています。
箱根の近くに、落ち着いた、思慮のある農民の兄弟がいました。二人は話し合いました。
「私たちは、ありがたいこの国に生まれてきた。何かを後世に残していかなければならない。自分たちにできることを、何かしようではないか。」
しかし兄は言いました。
「私たちのような貧しい者には、大きな仕事を残すことなどできない。」
すると弟が答えました。
「この山をくり抜き、湖の水を引いて田を開けたら、それは後世への大きな贈り物になるのではないか。」
兄は、「それは、とてもよい考えだ。では、お前は上から掘ってくれ。私は下から掘ろう。一生かかってでも、この穴を掘ろうではないか」と言い、掘り始めたのです。
そのころは測量の機械もなかったので、山の上に目印を立て、両側から掘っていったようです。兄弟は、生涯かけて、ほかのことは何もせずに……もちろん、暮らしを立てるための仕事はしたでしょうが……毎年毎年、両側から掘り続けました。
何十年かかったのか、年数は忘れました。しかし、下から掘り進んだ穴は、湖から掘った穴よりも4尺、約1.2メートル上のところへ出たそうです。それだけ上へずれましたが、湖の水位は高いので、水は、竜吐水というポンプから噴き出すように、向こう側へ勢いよく流れ落ちるのです。
誰も見ていないところで、生涯をかけて後世に仕事を残そう。その立派な志から、この兄弟は大事業を成し遂げました。見てくれる人も、褒めてくれる人もいないのに、一生を費やして穴を掘った。その行いは、今も私たちを励ますではありませんか。
その水によって、今の五つの村が、頼朝の時代から今日まで、毎年米を収穫してきたそうです。収穫量や人口がどれほどかは忘れましたが、湖から水が流れてくるので、干ばつの苦しみも知りません。
この兄弟は、実に幸せな人だったと思います。もし私に、ほかのことが何もできなければ、この兄弟に倣いたい。これは、たいへんな遺産です。
今見に行けば、おそらく長さ10町、約1キロほどの穴でしょう。しかし当時は、火薬もダイナマイトもなかったのですから、その穴を掘るのは、本当にたいへんなことだったでしょう。
大阪の天保山を切り開いたのも、そう遠くない時代のことです。安治川を開いた人は、日本にとって非常に大きな功績を残したと思います。安治川ができたことで、大阪の木津川の流れを北へ導き、水の流れを速くしました。その結果、水害の心配を取り除いただけでなく、深い港ができ、九州や四国から来る船を、そこへつなげるようになりました。
また、秀吉の時代に開いた吉野川も、それまでは大阪の裏手を流れ、住民を苦しめていました。それを堺と住吉のあいだに開き直したことで、大和川の水害がなくなり、大阪城の裏には何十という村ができました。これも、大きな仕事です。
越後の阿賀川を切り開いた仕事も有名です。実に立派な事業です。名高い10万石の新発田は、今ではおそらく、日本でも富の集まる中心地でしょう。
こうした仕事を考えると、私の心には、お金を後世に残せないなら、事業を残したいという思いが起こります。
土木だけではありません。どんな仕事でも、心を込めて取り組めば、お金に利息がつき、その利息にさらに利息がつくように、少しずつ大きくなり、やがて非常に大きな事業になります。
一人の仕事が、次の時代へ広がる
事業について考えると、私はいつも、有名なデビッド・リビングストンを思い出します。英語の読める方には、スコットランドの教授ブレーキが書いた『デビッド・リビングストンの生涯と書簡』をお勧めします。
聖書のほかに、私の人生を強く刺激した本が二つあります。一つは、カーライルの『クロムウェル伝』です。これは、あとでお話しします。もう一つが、ブレーキの書いたリビングストンの本です。
リビングストンの一生を見ると、私は彼を、宗教家や宣教師としてよりも、むしろ大事業家として尊敬せずにはいられません。お金を蓄えることも、土木の仕事を起こすこともできないなら、リビングストンのような仕事をしたいと思います。
彼はスコットランド、グラスゴーの機織り職人の子で、若いころから公共のための仕事に強い関心を持っていました。「どこかで、一つの事業を起こしてみたい」と考えていたのです。
初めは中国へ行こうとし、その希望をイギリスの伝道団体に訴えました。しかし、中国へ送る必要はないと言われ、許されませんでした。ついにはアフリカへ行き、37年間、自分の命をアフリカのために捧げたのです。
初めは主に伝道していましたが、やがて、アフリカを永続的に救うには、今は伝道ではいけないと考えました。内陸を探検し、地理を明らかにし、貿易を開いて力を与えなければならない。そうすれば、伝道も商業の結果として必ず広がるに違いない、と。
そこで彼は伝道をやめ、探検家になりました。アフリカを3度、縦横に横断し、知られていなかった湖を明らかにし、川の流れる方向を確かめました。その結果、さまざまな大事業が生まれました。
しかし、彼の仕事はそこで終わりませんでした。スタンレーの探検、ペーテルスの探検、チャンバーレンの探検へとつながり、今日のいわゆるアフリカ問題で、リビングストンの仕事に起源を持たないものは一つもないほどです。
欧米の9か国が連合し、アフリカの中心にプロテスタント主義の自由国をつくったという、コンゴ自由国の成立も、やはりリビングストンの仕事によるものと言わなければなりません。
今のイギリスは偉大だ、今のアメリカ共和国は偉大だと言います。私は、その始まりは何だったのだろうと、たびたび考えます。
尊敬する人について、私の見方には少し偏りがあるかもしれません。もし偏っていれば、そのように判断していただきたいのですが、私は、今のイギリスが大きな国になったのは、ピューリタン、つまり清教徒という一派が生まれたからだと思います。今のようなアメリカ共和国が生まれたのも、イギリスにピューリタンが現れたからです。
では、ピューリタンが大きな仕事を残し、今も残し続けているのは、なぜでしょうか。その中に、一人の偉大な指導者がいたからです。オリバー・クロムウェルです。
彼が政権を握ったのは、わずか5年でした。彼の死とともに、その仕事もすっかり終わったように見えます。しかし、そうではありません。クロムウェルの仕事は、今もイギリスを形づくっています。それどころか、イギリスが彼の理想に到達するのは、まだずっと先のことでしょう。
彼は後世にイギリスを残し、アメリカ合衆国を残したのです。アングロサクソンの人々がオーストラリアを従え、南アメリカで権力を得て、南北アメリカを支配するようになったのも、彼の残した仕事の成果だと言わなければなりません。
第2回の講演
思想を残すという仕事
昨晩は、私たちが後世に残すものとして、まずお金、次に事業について話しました。
では、お金を蓄える才能も、使う才能もなく、事業をする才能もなく、さらに事業をするための社会的な立場もない場合、私たちは何をすればよいのでしょうか。
事業をするには、神から与えられた特別な才能だけでなく、社会の中での立場も必要です。私たちは、ときどき「あの人には才能があるのに、なぜ何もしないのか」と責めます。しかし、それは、しばしば残酷な責め方だと思います。
立場さえ得られれば、ずいぶんつまらない人物でも、大きな仕事をするものです。反対に、立場がなければ、優れた人であっても、志を抱いたまま、山の中で一生を終えてしまうことがあります。成し遂げた事業だけで、人を評価することはできないのです。
私に事業の才能も、そのための立場もなく、友人も、社会の賛同もなかったら、身をすり減らして死に、何も残せないのでしょうか。
お金を蓄えられず、社会も私に事業をすることを許さないとしても、まだ一つ、残せるものがあります。自分の思想です。
自分の考えを、この世で実行できないなら、それを実行しようとする精神を、筆と墨で紙の上に残せます。あるいは、それに似た別の仕事もあります。生きているあいだに事業ができなければ、若者を育て、自分の考えを伝え、その人に、自分が志した仕事を実現してもらうこともできます。
短く言えば、本を書くことと、学生を教えることです。
本当は、著述と教育の両方について話したいのですが、時間がかかるので、まずは思想を残すことについて、文学という面から考えを述べましょう。
今の若者に自分の志を注ぐのも、思想を残す一つの方法です。しかし、思想そのものを残すには、文学によるほかありません。文学の要点は、まさにそこにあると思います。心にいつも抱いている思想を、後の世へ伝える。そのための道具が文学であり、それが文学の実際の役割です。
思想という贈り物が、どれほど大きなものかは、皆さんもよくご存じでしょう。思想をこの世で実行したものが、事業です。自分では実行できないから、種だけでもまいていこうとするのです。
「私は無念と憤りを抱いて墓に入る。しかし、私のあとに来る人たちよ。機会があれば、私の思想を実行してほしい。」
そう、後世に言い残すのです。このような贈り物は、実に大きなものです。
書かれた思想が、世界を動かす
およそ2,000年前、ユダヤの、世間では取るに足らないと思われていた漁師たちや、ほとんど名も知られていなかった人たちが、『新約聖書』という小さな書物を書きました。その小さな本が、ついに世界全体を変えました。ここにいる皆さんには、説明するまでもないでしょう。
頼山陽も、天皇を尊ぶ勤王の考えを説いた人です。日本を立て直すには、一つのまとまりにしなければならない。そのためには皇室を尊び、徳川の封建政治を終わらせ、天皇が治める時代にしなければならない。そういう大きな思想を持っていました。
しかし山陽は、それを実行しようとしても、できませんでした。彼ほどの先を見通す力がない人なら、無理に実行しようとして、戦場で命を落としていたかもしれません。山陽は、そんな愚かなことはしませんでした。自分の生きているあいだには、とても実現できないと知っていたから、その志を『日本外史』に書いたのです。
日本の歴史を書くにあたって、あからさまに皇室を擁護する書き方をしたわけではありません。源氏や平氏以来の、皇室以外の武家の歴史を書き、その中に、はっきり言葉にせずとも、天皇を尊ぶ精神を込めて、私たちに残してくれたのです。
王政復古を生み出した力は何だったか。多くの歴史家が言うように、山陽の『日本外史』が、その一つだったことは明らかです。彼は思想を残すことで、日本を立て直しました。王政復古の前後の歴史を詳しく調べれば、山陽の功績の大きさがわかります。
山陽のほかのことは、私はよく知りません。私生活には、二つ三つ賛成できないところがあります。国のあり方や軍制についての議論にも、私は同意しません。
それでも、彼の一つの志には、心から敬意を抱きます。
「自分が生きている今の世には、望むことはない。しかし、後の世の人々には、大いに望むことがある。」
この願いです。山陽は『日本外史』を残して亡くなり、その骨は京都の東山に葬られました。しかし、その『日本外史』から、新しい日本が生まれたのです。
今から200年ほど前のイギリスに、痩せて背が低く、いつも病気がちな学者がいました。世間には知られず、何の役にも立たない者だと思われ、貧しい裏長屋のようなところで暮らしていました。「あの人は、いったい何をしているのか」と言われるほど目立たず、何もできないように見えた人でした。
しかし、その人は一つの大きな思想を持っていました。人間には非常に大きな価値がある。一人の人間は、国家よりも大切である。そういう考えです。
17世紀の半ばには、その考えは社会にまったく受け入れられませんでした。当時のヨーロッパでは、国家を重んじることが当然でした。イタリアでも、イギリスでも、フランスでも、ドイツでも、国家を思う精神を育てなければならないと、社会全体が国家という集団へ関心を向けていたのです。
そんな時代に、「個人は国家より大切だ」といくら発表しても、どれほど権力のある人であっても、実行できないことは明らかでした。そこで、この学者は人目につかない住まいにこもって、本を書きました。
その人は、皆さんもご存じのジョン・ロックです。その本が『人間知性論』です。
この本はフランスへ渡り、ルソーが読み、モンテスキューが読み、ミラボーが読みました。そして、その思想がフランス全体に広がり、ついに1790年、フランスの大革命が起きて、2,800万の国民を動かしました。
それによってヨーロッパ全体が動き始めました。19世紀の初めにも、ロックの著書によってヨーロッパは動きました。そこからアメリカ合衆国が生まれ、フランス共和国が生まれ、ハンガリーの改革が起こり、イタリアの独立が起こりました。ロックがヨーロッパの改革に与えた影響は、実に大きなものです。
その結果を、私たちは日本でも感じています。私たちの願いは何でしょう。一人ひとりの持つ力を増したいということではありませんか。どこまで実現できるかは、まだ問題です。それでも、私たちが願っているのは、そのことです。
もちろん、ロック以前にも同じような考えを持った人はいました。しかしロックは、その考えに形を与え、『人間知性論』という本を書いて亡くなりました。彼の思想は、今も私たちの中で働いています。
体も弱く、社会的な立場もごく低かったロックは、実に、今のヨーロッパを動かす人になったのだと思います。
文学は、未来に向けて続ける戦い
だから、思想を残すことは、大きな仕事です。事業を残せなくても、思想を残すことによって、将来、自分の事業を実現できると思います。
ここで、注意しておきたいことがあります。私たちの中には、「文学者」を名乗る人たちがいます。誰でも筆を持ち、雑誌などに批評を載せれば文学者なのだと思っている人がいます。文学が、怠け者の学生のおもちゃになっているのです。
誰にでも文学はできる。日本では、文学が、とても気楽なもののように考えられています。山にこもって文章を書いて暮らすなど、実にうらやましいことだと思われています。
福地源一郎さんが不忍池のほとりに別荘を建て、日蓮上人の脚本を書いている。外から見ると、たいへん風流に見えます。
日本人が文学者の生活をどう思い描いているかは、絵を売る店へ行けばわかります。赤く塗られたお堂の中で、美しい女性が机の前に座り、筆をかざして、向こうから昇る月を眺めている。『源氏物語』を書く紫式部の姿です。これが、日本で思い描かれる文学者です。
しかし、文学がそんなものなら、それは後世への贈り物ではなく、かえって害になるものです。確かに、『源氏物語』は美しい日本語を伝えたのかもしれません。しかし、日本人の気概を奮い立たせるために、何をしたでしょうか。何もしなかっただけでなく、私たちを女々しく、意気地のない人間にした。そういう文学は、私たちの中から根こそぎなくしたいと思います。(拍手)
そんなものが文学なら、私たちはカーライルとともに、文学には一度も手をつけたことがないと、世に向かって誇りたい。
文学とは、そのようなものではありません。私たちが、この世界で戦うための道具です。今日、戦えないから、未来において戦おうとする。それが文学です。
文学者が机に向かうとき、それはルターがヴォルムスの会議に立ったとき、パウロがアグリッパ王の前に立ったとき、クロムウェルが剣を抜いてダンバーの戦場へ向かったときと、同じことなのです。
この社会、この国をよくしよう。この世界の敵である悪魔を打ち倒そう。その目的で戦うのです。
ルターが部屋で何かを書いていると、悪魔が現れたので、インクつぼを取って投げつけたという話があります。歴史家は、本当の話ではないと言います。しかし、これこそが文学です。ほかの方法で仕事ができないから、インクつぼを取って、悪魔にぶつけるのです。
今日、事業を成し遂げようとするのではありません。未来まで自分たちの戦いを続けようとして、その仕事を筆と紙に残し、この世を去る。それが、文学者の持つ志なのです。
自分の思想を筆と紙に残し、未来への贈り物にする。それが、文学者の仕事です。神がそれを許してくださるなら、私たちは感謝して、その贈り物を残したいと思います。
有名なウルフ将軍は、ケベックの町を攻略するとき、グレイの「エレジー」という、死者を悼む詩を口ずさみながら、こう言いました。
「このケベックを手に入れるより、むしろ私は、この詩を書きたかった。」
もちろん「エレジー」は、ルターの文章のような激しいものではありません。それでも、イギリス人の心を、ウルフ将軍のような人の心を、どれほど慰めたでしょうか。今日まで、イギリス人の勇気を、どれほど励ましてきたかわかりません。
トーマス・グレイは有名な学者で、その時代に、彼ほど広い学問を身につけた人は、ほとんどいなかったそうです。イギリスの文学者で博学多才な人といえば、おそらくグレイだっただろうと評価されています。
しかし、彼は何を残したのでしょうか。書いたものをすべて集めても、このくらいの厚さの、200ページか300ページほどの本になるでしょう。(手で厚さを示す)その中に、これが大作だと言えるものはありません。後世に残したものは、ただ「エレジー」という300行ほどの詩でした。グレイの48年の生涯は、この詩を書いて終わったのです。
しかし、おそらくイギリスの国民が続くかぎり、英語が話されるかぎり、この詩は消えないでしょう。この詩ほど、多くの人、とりわけ貧しい人や、世の中にまったく受け入れられない人、志を抱きながら、それを世に示せない人を慰めたものはありません。
グレイは、この詩によって、いつまでも人々を慰め続けています。私たちは、実に、そのような人生をうらやましく思います。
48年間、さまざまな学問を積んだ人が、わずか300行ほどの詩を残して亡くなったと聞けば、小さなことに思えるかもしれません。しかし、グレイは大きな仕事を成し遂げた人なのです。
有名なヘンリー・ビーチャーは、こう言いました。これは、決して小さなことを大げさに言ったのではないと思います。
「自分が送ってきたような60年、70年の生涯を送るよりも、私はむしろ、チャールズ・ウェスレーが書いた『私の魂を愛してくださるイエスよ』という、あの一篇の讃美歌を作りたかった。」
少し考えると、これはウェスレーを尊敬するあまり言っただけで、本心ではないようにも思えます。しかし、その讃美歌を何度も繰り返し歌い、どれほど深い感情、味わい、希望が込められているかを感じると、ビーチャーの言葉は本当かもしれないと思います。ビーチャーが成し遂げた大きな仕事も、この一つの讃美歌には及ばなかったのかもしれません。
だから、自分に思想があり、それを直接実行できないなら、紙に書き残して後世へ伝える。それは大きな仕事ではないでしょうか。文学者の仕事は、うらやましく思うほどの仕事なのです。
自分が感じたことを、そのまま書く
そういう仕事なら、自分もやってみたいと思うでしょう。ところが、皆さんの中には、こう言う人もいるかもしれません。
「しかし、文学など、とても自分にはできない。今まで筆を持って文章を書いたこともない。学問も足りない。とても文学者にはなれない。」
『源氏物語』を見て、こんな滑らかな文章は書けないと思う。マコーレーの文章を見て、とてもまねできないと思う。山陽の文章を見ても、こんなものは書けないと思う。そして、どうしても文学者にはなれないと、落胆してしまうのです。
文学者には特別な天職があり、文学は私たちのような平凡な人間には無理だ。そう考える人がいます。しかし、その落胆は、先ほどお話しした、弱々しい文学観から生まれたものです。つまり、『源氏物語』のようなものを文学だと考えるところから出てきたのです。
文学とは、そんなものではありません。自分の心を、ありのままに表すものです。
ジョン・バンヤンは、まったく学問のない人でした。読んだ本があるとすれば、わずか二つ。『聖書』と、フォックスの『殉教者の書』です。
今では、あのような本を読む忍耐力のある人は、いないでしょう。私も札幌で読んだことがありますが、10ページほど読むと、先を読む気力がなくなる本です。しかも、クエーカーの書いた本なので、文法の誤りもたくさんあります。それでもバンヤンは、初めから終わりまで読みました。
彼は、こう言いました。
「プラトンも、アリストテレスも、読んだことがない。私は、イエス・キリストの恵みを受けた、哀れな罪人にすぎない。だから、自分の思うことを、そのまま書くのだ。」
そうして書いたのが、有名な『天路歴程』です。
イギリス文学の批評家の中でも、おそらく第一人者といえる、先ごろ亡くなったフランス人のテーヌは、この本をこう評しました。
「純粋さという点から英語を考えるなら、ジョン・バンヤンの『天路歴程』に及ぶ文章は、おそらくないだろう。外からの混じり物のない、最も純粋な英語だろう。」
これほど有名な本が、学問のない人によって書かれたのです。
私たちにもバンヤンのような精神があればよい。他人から聞いた、つまらない説を伝えるのでもなく、自分で組み立てた神学説を伝えるのでもなく、「私はこう感じた」「こう苦しんだ」「こう喜んだ」と書くのです。そうすれば、世間の人は、どれほど喜んで読むかわかりません。今の人だけでなく、後世の人も喜んで読みます。
バンヤンは、本当に真剣な信仰者でした。自分の心で経験したことを、真剣に表したものが、イギリス第一級の文学なのです。
私たちの中に、文学者になりたいと思う人がいるなら、バンヤンのような心を持たなければなりません。その心があれば、文学者になれない人はいないと思います。
借り物の議論より、自分自身の言葉を
ここには丹羽さんがいないので、少し悪口を言いましょう。(笑い)あとで告げ口をしてはいけませんよ。(大笑い)
丹羽さんが青年会で『基督教青年』という雑誌を出し、私のところにも、ずいぶん送ってきてくれました。先日、東京へ出たとき、「内村君、『基督教青年』をどう思いますか」と聞かれたので、私は真剣に、はっきり答えました。
「失礼ですが、私のところへ届くと、すぐ便所に持っていって、置いてきます。」
丹羽さんは、たいへん怒りました。そこで、その理由を話しました。トイレットペーパー代わりに使うのは、実につまらない雑誌だからです。立派な議論や優れた説がないからではありません。若者が、若者らしくないことを書いているからです。
若者が学者のまねをして、つまらない議論をあちらからもこちらからも抜き出し、はさみとのりで貼り合わせたような論文を載せる。だから、読まないのです。
「もし若者が、その心にあることを、そのまま書いてくれるなら、私は大切にします。年末になったら立派に装丁し、自分の蔵書の中で最も価値あるものとして残しておきます。」
そう言いました。その後、雑誌は、だいぶよくなったようです。
私は、立派な議論や優れた説を聞きたいのではありません。私が、そして社会が聞きたいのは、女性からは女性自身の言葉、男性からは男性自身の言葉、若者からは若者が思っていること、老人からは老人が思っていることです。それが文学です。
だから、自分の心を、そのまま表してみてください。そうすれば、文法がどれだけ間違っていても、世の中の人は読んでくれます。それが、私たちの残すものです。ほかに何もできなければ、思っていることを、そのまま書けばよいのです。
私の家には、高知から来て、家事を受け持ってくれる女性がいます。たいへん面白い人で、いろいろと世話をしてくれます。ときには、ほとんど母親のように世話をしてくれます。
その人が手紙を書くのを横から見ていると、その独特な書き方に驚かされます。筆を横に持ち、仮名で、土佐の言葉のまま書くのです。あとで坂本さんが登場して、皆さんに土佐言葉の見本を聞かせてくれるかもしれません。(大笑い、拍手)
実に面白い言葉です。仮名で書くので、土佐の言葉が、そっくりそのまま出てきます。長い手紙で、読むには骨が折れます。しかし私は、それを見ると、いつも喜ばしく思います。
その人は、キリスト教徒ではありません。毎月、三日月が出るころになると、私のところへ来て、「旦那さま、どうか6厘ください」と言います。「何に使うのか」と聞くと黙っていて、「何でもいいから」と言う。渡すと、豆腐を買ってきて、三日月に供えるのです。
あとで聞くと、「旦那さまのために、三日月さまにお祈りしておかないと、運が悪くなります」と言います。私は感謝して、いつも6厘を渡しています。(大笑い)
七夕になれば、私のために団子や梨や柿などを供えます。私は、いつも喜んで供えてもらいます。
私は、その人が書いてくれる手紙を、『六合雑誌』などに載る多くの立派な学者先生の文章よりも、ずっと喜んで読みます。それが本当の文学であり、私の心に訴える文学だからです。
文学とは、何も特別なものではありません。私たちの心に訴えるものです。文学がそういうものであるなら……そういうものでなければなりませんが……私たちは、なろうと思えば文学者になれるのです。
文学者になれないのは、筆が使えないからでも、漢文が書けないからでもありません。心の中に湧き上がる思想があり、それをバンヤンのように、心のままに書けるなら、それが第一級の立派な文学です。
カーライルは言いました。
「何でもよいから、その深いところへ入れ。深いところには、どんなものにも音楽がある。」
皆さんも、自分の心をありのままに書いてみてください。それが、流れるような立派な文学になるのです。
私自身、文天祥はどう書いたか、白楽天はどう書いたかと調べてから、文章を書いたこともあります。しかし、自分で読んでもよいと思えるのは、仮名や文法の間違いを気にせず、心のままに書いた文章のほうです。他の人も、そちらがいちばんよい文章だと言います。文学者の秘訣は、そこにあります。
そういう文学なら、私たちは誰でも残せます。ありがたいことです。事業を残せなくても、神は私たちに言葉を与え、人間に文学を与えてくださいました。だから私たちは、文学によって、自分の考えを後世に残していけるのです。
教えることにも、特別な力がいる
こう言うと、また別の問題が出てきます。
お金も蓄えられず、事業もできない。では、皆さんがそろって文学者になったらどうでしょう。印刷屋は喜ぶかもしれませんが、社会は喜ばないでしょう。文学者が増えても、印刷屋と製紙工場が喜ぶだけで、社会の役には、それほど立たないかもしれません。
それなら、文学者になれず、なるつもりもなく、バンヤンのような思想はあっても、彼のように文章にできない人には、ほかに残せるものはないのでしょうか。これは、私にも何度も起こった問題です。
文学者になることは、先ほど述べた意味では難しくないと思います。しかし実際には、誰もが文学者になれると期待してよいわけではありません。
学校の先生についても、同じです。大学に入って学士の学位を取り、さらにアメリカへでも行って学校を卒業すれば、それで先生になれると考える人がいます。しかし、そうではありません。
たいへんお世話になったアマースト大学のシーリー学長が、こう言いました。私は、その言葉を何度も聞いて感銘を受け、今も心に留めています。
「この大学と同じだけの給料を払えば、学者は、いくらでも見つかる。地質学を研究する人も、動物学を研究する人も、たくさんいる。しかし、地質学や動物学を教えられる人は、実に少ない。文学をする人は多いが、文学を教えられる人は少ない。だから、この大学にいる30人、40人の教授は、非常に貴重なのだ。自分で学問を知っているだけでなく、それを教えることのできる人たちだからだ。」
私たちは、この言葉を深く考えるべきです。学校を卒業すれば必ず先生になれる、などと考えてはいけません。学校の先生になることは、一種の特別な天職だと思います。よい先生は、必ずしも偉大な学者ではありません。
大島君もご存じですが、私たちが札幌にいたころ、クラーク先生が植物学を担当していました。当時は、ほかに植物学者がいなかったので、私たちは先生を第一級の植物学者だと思っていました。先生が言うことに、植物学の間違いはないと思っていたのです。
ところが、先生の本国へ行って聞いてみると、だいぶ化けの皮がはがれました。ある学者は、「クラークが植物学について語るとは、驚きだ」と笑っていました。
それでも先生には、たいへん大きな力がありました。植物学の知識を若者に伝え、その学問への興味を起こさせる力です。だから、植物学の先生としては、非常に価値のある人だったのです。
学問さえすれば先生になれる、思想さえあれば誰でも先生になれるという考えは、捨てなければなりません。先生になる人は、学問ができるだけでは足りません。もちろん学問も必要ですが、それ以上に、その学問を若者へ伝えられる人でなければなりません。伝えることは、一つの技術なのです。短い言葉ですが、そこには深い意味があります。
文学者になりたい、学校の先生になりたいと願っても、誰にでもできるとは限らないと思います。
お金も事業も残せない人なら、必ず文学者か教師になって思想を残せるかというと、そうはいかないのです。
ただ、それでも文学や教育は、工業の仕事をしたり、お金を蓄えたりするより、ずっと取り組みやすいと思います。自分の力で、独立してできる面があるからです。とりわけ文学は、独立した仕事です。
今の学校では、キリスト教系の学校でも国が運営する学校でも、自分の思想を伝えたいと思っても、実際には自由に伝えられません。そのため、自分の思想を保ちながら学校で教えるのは、かなり難しいことです。しかし文学の仕事なら、社会は、ほぼ自分の自由に任せてくれます。
独立を望む多くの人が、政治の世界を去って宗教の世界へ入り、そこを去って教育へ入り、さらに教育を去って、最後には文学へ入った。これは明らかな事実です。優れた人々が、文学に逃げ込んだのです。
文学は、自分の思想を独立して保とうとする人にとって、最も都合のよい隠れ場所でしょう。それでも、今言ったように、誰でも入れる道というわけではありません。
誰にでも残せるものは、ないのか
すると、ここで一つの問題が生まれます。文学者にも教師にもなれなければ、私は後世に何も残せないのでしょうか。ほかにできる仕事はないのでしょうか。私も、このために何度も落胆することがあります。
事業家になれず、お金も蓄えられず、本も書けず、人に教えることもできない。それなら私は、役に立たない、平凡な人間として消えていかなければならないのでしょうか。
陸放翁の詩のように、「私が死ねば骨も朽ち、歴史にも名は残らない」と嘆き、その悲しみの声を上げながら一生を終えるのか。そう考えて、深い失望に沈むことがあります。
しかし私は、それらよりも、もっと大きなものがあると思います。これまでの三つと違い、誰にでも残せる、最大の贈り物があるのです。
お金も、確かに残す価値のあるものですが、最大とは言えません。事業も大きな遺産であり、ほとんど最大と言ってもよいでしょう。しかし、本当に最大だとは言い切れません。文学も非常に尊く、自分の思想を書き残したものには大きな価値があります。それでも、最大とは言えません。
なぜか。まず、誰にでも残せるものではないからです。それだけでなく、結果として害をもたらすこともあるからです。
昨日も話したように、お金は使い方によって大きな利益を与えますが、悪く使えば大きな害を与えます。事業も同じです。クロムウェルやリビングストンの仕事は、大きな利益をもたらした一方で、害も伴っています。本を書くことにも、よいところと悪いところがあります。
ですから、これらを完全な贈り物、最大の贈り物と呼ぶことはできないと思うのです。
最大の贈り物は、勇気を持って気高く生きた人生
では、最大の贈り物とは何でしょうか。
人間が後世に残すことができ、しかも誰にでも残せて、利益ばかりがあって害のないもの。それは、勇気を持ち、気高く生きた、その人の人生だと思います。これこそが、本当の贈り物ではないでしょうか。ほかのものは、誰にでも残せるわけではありません。
では、気高く、勇ましい人生とは、どういうものでしょうか。私が改めて言うまでもなく、皆さんも以前から知っている生き方です。
この世は、悪魔ではなく神が治める世界だと信じること。失望の世界ではなく、希望の世界だと信じること。悲しみの世界ではなく、喜びの世界だという考えを、自分の人生で実行すること。そして、その人生を、この世への贈り物として去っていくことです。それなら、誰もが残せるのではないでしょうか。
これまでの偉大な人の仕事や、優れた文学者の仕事を考えてみると、その人が書いた本や、成し遂げた事業は立派です。しかし、その人の生涯そのものと比べれば、実に小さな贈り物だと思います。
パウロの手紙は、たいへん役に立つものです。しかし、パウロ自身の生涯と比べれば、その価値はずっと小さいのではないでしょうか。パウロという人そのものは、『ローマの信徒への手紙』や『ガラテヤの信徒への手紙』よりも、偉大だと思います。
クロムウェルがアングロサクソンの人々の王国をつくったのは、大きな仕事です。しかし、あの時代に立ち、自分の独立した思想を実行し、神によって勇ましい生涯を送った。その人生そのものは、彼の事業の10倍、100倍もの価値を持つ、社会への贈り物ではないでしょうか。
私は、もともとトーマス・カーライルの本を、たいへん敬意を持って読んでいます。そのために嫌われることもありますが、私は彼という人物を、全体として深く尊敬しています。何度も本を読んで学び、刺激を受けてきました。
それでも、彼の書いた40冊ほどの本をすべて集め、その人自身の生涯と比べると、書いたものの価値は、ずっと小さいと思うのです。
先日、カーライルの伝記を読んで、強く感じたことがあります。彼の著書でいちばん有名なのは、『フランス革命史』です。ある歴史家は、こう言いました。
「イギリス人が書いた歴史の叙述、出来事を描き出す文体という点では、カーライルの『フランス革命史』を、第一といってもよいだろう。第一でないとしても、最上のものの一つには入る。」
読んだ人は、皆、同じように感じると思います。100年ほど前の出来事が、目の前に生きた絵のように現れます。立派な画家でも、あれほどは描けないと思うほど、フランス革命の全景を、生き生きと見せてくれる本です。私たちは、この本を非常に大切にしています。カーライルが残してくれた、尊い贈り物です。
しかし、その本を書いたカーライルの人生での経験には、本そのものより、さらに立派なものがあります。長い話になりますが、どうか話させてください。
彼にとって、この本を書くことは、ほとんど生涯をかけた仕事でした。少し見るだけなら、これくらい誰でも書けそうだと思うかもしれません。しかし、深く歴史を調べ、広く資料を集め、まさに一生の血を絞るようにして書いた本です。
何十年だったかは忘れましたが、長い年月をかけ、ようやく自分の望んだとおりの本が書けました。原稿を罫線のある紙に書き上げ、もうすぐ出版できるだろうと待っていたのです。
そこへ友人が訪ねてきました。カーライルから本の話を聞いた友人は、「実にすばらしい本だ。今晩、ぜひ読ませてほしい」と言いました。カーライルは、自分の書いたものには足りないところがあると思い、人の批評を聞きたかったので、貸しました。
友人は原稿を家へ持ち帰りました。すると、その友人のところにも、別の友人が来ました。その人は手に取って読み、「面白い本だ。どうか今晩、私に読ませてくれ」と頼みます。「明日の朝早く持ってくるなら貸そう」と言って、原稿を渡してしまいました。
その人は家へ持ち帰り、夢中で、明け方まで読みました。しかし、これでは明日の仕事に差し支えると思い、原稿を机の上に置いたまま床に入り、眠り込んでしまいました。
翌朝、その人が起きる前に、家事をする使用人の女性が部屋に来ました。主人が起きる前に、ストーブに火をつけようとしたのです。西洋では、紙をたきつけに使います。何かよい紙くずはないかと探すと、机の前に、書きものがたくさん広がっていました。
これはよいと思い、それをすべて丸めてストーブに入れ、火をつけて燃やしてしまったのです。カーライルが何十年もかけた『革命史』は、時計で3分か4分のあいだに、煙になってしまいました。
原稿を又借りしていた友人は、このことを聞いて、ひどく驚きました。何と言ってよいかわかりません。別のものなら、償うこともできます。紙幣を焼いたなら、お金を弁償すればよい。家を焼いたなら、建て直せばよい。しかし、思想を凝らし、情熱を注ぎ、何十年もかけて書いたものを焼いてしまった。それは、償いようがありません。
失われたものは、もう戻らない。責任を取って腹を切ったところで、それだけのことです。最初に原稿を借りた友人も、この話を聞いて、どうすることもできず、1週間黙っていました。何と言えばよいかわからなかったのです。しかし、ほかに方法もないので、ついにカーライルへ伝えました。
そのとき、カーライルは10日ほど、ぼんやりして何もしなかったそうです。さすがの彼も、そうだったでしょう。たいへん怒りもしました。もともと短気な人でしたから、ひどく腹を立てたのです。歴史の仕事は放り出して、何の役にも立たないような小説を読んでいたそうです。
しかし、そのあいだに我に返り、自分に言いました。
「トーマス・カーライルよ、お前は愚か者だ。お前の書いた『革命史』は、それほど尊いものではない。いちばん尊いのは、この苦難に耐え、もう一度筆を取り、書き直すことだ。それこそが、お前の本当に立派なところなのだ。こんなことで失望してしまう人間の書いた『革命史』を、世に出しても役に立たない。だから、もう一度書き直せ。」
そうして自分を励まし、再び筆を取って書きました。
話は、それだけです。しかし、そのときのカーライルの心を思うと、深い共感が湧き上がってきます。
彼の偉大さは、『革命史』という本そのものにあるのではありません。焼けてしまったものを、もう一度書き直したことにあります。たとえその本が残っていなくても、彼は後世に、たいへんな贈り物を残したのです。
どれほど失敗しても、どれほど不運に遭っても、力を取り戻し、仕事を捨ててはならない。勇気を起こして、もう一度取りかからなければならない。そういう気持ちを、私たちに起こさせてくれた。カーライルは、その点で大きなものを残した人ではありませんか。
後の人を動かす、生きた力を残す
今、世の中に足りないものは何でしょうか。お金がない。日本には事業が少ない。よい本がない。確かに、そのとおりです。
しかし、私たち日本人が今、最も必要としているのは何でしょう。本でしょうか。お金でしょうか。事業でしょうか。それらも、もちろん不足しています。しかし、私の考えでは、いちばん足りないのは「生命」、人を内側から動かす生きた力です。
近ごろは、学問や教育、つまり教養や修養を身につけることが、私たちの大きな関心になっています。どうしても学問をしなければならない。若者に学問を与えなければならない。教育を残して、後の世の人たちを導き、教えなければならない。そう心配しています。もちろん、それはたいへんよいことです。
しかし、私たちが今から100年後に生まれ、この1894年の人々の歴史を読むとしたら、どうでしょうか。どんな気持ちになるでしょうか。
ここに学校が建った。ここには教会が建った。青年会館も建った。どうして建てられたのだろうと読んでいくと、この人はアメリカへ行ってお金を集めてきた、こちらの人はこういう運動を起こして建てた、とあります。
それを読むと、私たちは、かえって落胆するかもしれません。
「とても自分には、そんなことはできない。今では、アメリカへ行ってもお金はもらえないだろう。自分には、人と協力して仕事をする、あのような力もない。まねできない。自分には、その事業は無理だ。」
50年、100年後の人間なら、今の時代から学校を受け継ぐかもしれません。教会も受け継ぐかもしれません。しかし、自分自身を動かす原動力は、受け取れない。いちばん大切なものを、もらえないのです。
一方、ここに、小さく目立たない教会が一つあるとしましょう。売っても、わずかな値段にしかならない建物かもしれません。しかし、その教会ができた歴史について、次のような話を聞いたら、どうでしょうか。
「建てた人は、たいへん貧しかった。特別な学問もなかった。それでも、あらゆる無駄遣いをやめ、自分の欲を抑え、まったく自分の力を頼りに、この教会を建てた。」
この歴史を読むと、私にも勇気が湧いてきます。あの人にできたのなら、自分にもできないはずはない。自分も、一つやってみよう。そう思えるのです。
二宮金次郎が残した、生涯の贈り物
そう遠くない時代の日本で活躍した、傑出した人物についてお話ししましょう。いや、世界の傑出した人物と呼んでもよい人です。
私たちが今いる箱根の近くに生まれた、二宮金次郎です。私は、その伝記を読んで非常に強い感銘を受けました。実際、彼から受けた恩恵は、たいへん大きいのです。
彼の事業は、日本全体に広がったわけではありません。すべて集めても、20か村、30か村の人々を救ったことにとどまるのだと思います。それでも、その生涯が私の役に立ち、今の日本の多くの人の役に立つのは、なぜでしょうか。
事業そのものではなく、生涯そのものを贈り物として残したからです。
ご存じの方もいるでしょうが、少しお話ししましょう。
金次郎は、14歳で父を、16歳で母を失いました。家は貧しく、財産もすべて失い、たいへん冷酷な伯父に預けられました。弟が1人、妹が1人いて、自分にはお金が1文もない。そういう孤児でした。
その人が、どうやって暮らしを立てたのでしょうか。
伯父の家で手伝いをしているうちに、本を読みたくなりました。しかし、読んでいると、伯父に叱られます。「高い油を使って本を読むなど、馬鹿げている」と言って、読ませてもらえません。
伯父の油を使うのはいけないと言われたので、彼は黙って、「それなら、自分の油ができるまでは本を読まない」と決心しました。
そして、川辺の、人が気づかないような場所へ行って菜種をまきました。1年かけて5升、6升ほど収穫し、それを油屋へ持っていって、油と交換しました。その油で、本を読んだのです。
ところが、また叱られました。
「油さえ自分のものなら、本を読んでよいと思ったら間違いだ。お前の時間も、私のものだ。本など読むくらいなら、その時間に、わらをよって縄を作れ。」
それも伯父の言うことですから、仕方がありません。一日中働き、そのあとで本を読みました。そのように、苦労して学んだ人です。
生計を立てるためには、どうしたか。村の人が遊んでいるとき、特に祭りの日などに働きました。近所には、洪水で沼になった畑がありました。伯父のために働く時間ではなく、自分の時間を使って、その沼の水を抜き、小さなくわで田を作り、稲を植えたのです。
こうして、初めて米を1俵収穫しました。本人の自伝によれば、こう書いてあります。
「米が1俵とれたときの喜びは、言いようがなかった。これは天が、初めて直接、私に授けてくれたものだ。その1俵は、私にとって百万の価値があった。」
そのやり方を続け、20歳で伯父の家を出たときには、3俵、4俵の米を持っていました。そこから身を立てた人です。
その一生を初めから終わりまで見ていくと、そこには、こういう考えがあります。
「この世界は、神が……彼は神とは言わず、天と言いますが……天が造ってくださったものだ。天は実に恵み深く、人間を助けよう、助けようとしている。だから、自分を天地に委ね、その法則に従えば、こちらから求めなくても、天が助けてくれる。」
彼は、そう考えただけでなく、実行しました。詳しく話せば長くなりますが、ついには何万石もの収穫がある村々を立て直し、自分の身をすべて人のために使いました。徳川幕府の末の時代に、経済と農業の改良に大きな功績を残したのです。
私たちも、二宮金次郎のような人の生涯を見ると、「あの人にあれができたのなら、自分にもできないことはない」と思います。ありふれた考えですが、非常に価値があります。
他人に頼らなくても、神を頼り、自分の力を頼りにし、この世界の法則に従えば、世界は願う方向へ動き、自分の考えを実現できる。そう感じられるようになるのです。
金次郎の事業そのものは、それほど大きくはありませんでした。しかし、その生涯が持つ大きさは、計り知れません。私だけでなく、日本中の何万人もの人が、彼から心を奮い立たせる力を受け取ったでしょう。
皆さんも、伝記を読んでみてください。『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』という本がありますが、あれはつまらない本です。私がよく読んだのは、農商務省が出版した、500ページほどの『報徳記』です。ぜひ読んでほしいと、心から願います。
新しい理想と希望を与えてくれる本です。まるで、キリスト教の聖書を読むような気持ちになります。
だから、私たちが事業を残せなくても、二宮金次郎のように、自立した生涯を実際に生きていけば、大きな仕事を残す人になるのではないでしょうか。
人が行きたがらないところへ行き、人が嫌がることをする
話が長くなったので、そろそろ終わりにします。最後に、いつも私の生涯に深く響いてくる、一つの言葉を繰り返したいと思います。
ここには、アメリカのマサチューセッツ州にある、マウント・ホリヨーク・セミナリーという学校を卒業してきた方がいます。古い歴史のある、たいへんよい女学校です。
しかし私が評価するなら、今の教育、特に知識を教える面で、アメリカ第一の女学校だとは思いません。アメリカには、ほかにもよい女学校がたくさんあります。大きなスミス女学校もあれば、ボストンのウェルズリー、フィラデルフィアのブリンマーもあります。
それでも、マウント・ホリヨークは、非常に強い影響力を持ち、世界で大きな仕事をしてきた学校です。
なぜでしょうか。……この学校も、近ごろは設備がだいぶ整ったそうですが、ついこのあいだまでは、十分に整っていませんでした。……世界を動かす力を持てたのは、そこに、並外れた一人の女性がいたからです。
メアリー・ライオンです。彼女は、立派な物理の実験装置や天文台、あるいは立派な学者以上に価値のある魂を持っていました。
その一生を、ここですべて話すことはできません。しかし、彼女が女子学生たちに言い残した言葉は、女性を励ますだけでなく、男性をも励ますものです。生涯を思い返すたび、まるで日本の武士のような生き方だと思います。弱い者のために立ち、正義を貫こうとする心に満ちた人でした。
彼女は、学生たちに、こう言いました。
「人が行きたがらないところへ行きなさい。」
「人が嫌がることをしなさい。」
これが、マウント・ホリヨークの土台です。世界に影響を与えた力ではないでしょうか。人の嫌がることをし、人の行きたがらないところへ行くという精神です。
私たちの人生は、その方向へ進んでいるでしょうか。多くの場合、そうではなく、人もするから自分もしよう、というのではありませんか。
人がアメリカへお金を集めに行くから、自分も行こう。人が政治運動をする壮士になるから、自分もなろう。ひどい場合は、近ごろキリスト教の評判がよくなってきたから、自分もキリスト教徒になろう、という人までいます。
関東へ行くと、関西にはそれほど見られないものがあります。関東にはよいところが、ずいぶんあります。関西よりよいと思うところもあります。関東の人は、よく「意地」ということを言います。
意地の悪い人のことを「つむじが曲がっている」と言いますが、坊主頭なら、すぐわかります。つむじがこのあたりで、こう曲がっている人は、必ず意地が悪い。(手で示す)人が右へ行こうと言えば左と言い、ああしようと言えば、こうしようと言う。特に上州の人には、そういう人が多いそうです。私は上州の人間ではありませんが。
必ずしも褒めるべき精神ではないでしょう。しかし、武士の意地というものがあります。それを私たちから取り去ってしまえば、腰抜けの武士になってしまいます。
徳川家康には、偉いところがたくさんあります。皆さんもご存じでしょうが、子どものころ、川原で二組の子どもたちが石を投げ合って争っているのを見たとき、家来に命じました。
「人数の少ないほうを、手伝ってやれ。多いほうはよい。少ないほうへ行って、助けてやれ。」
ここが、家康の偉いところです。
正義のために立つ者は、いつも少数です。だから私たちは、少数であっても正義の側に立ち、その正義のために、不義を行う多数の人々に向かい、石を投げて戦わなければなりません。
もちろん、ただ負ける側を助ければよい、というのではありません。私が望むのは、少数の側とともに戦う意地、その精神です。私たち皆に、それが欲しいのです。
今、私たち少数の者が正義のために立つときには、少なくとも、この夏期学校に来ている人たちくらいは、ともに立ち上がってほしいと思います。
後世の人たちに、こう言ってもらいたいではありませんか。
「この人たちには、力も、富も、学問もなかった。しかし、それぞれが信じる主義のために、自分の一生を使った。」
それは、誰にでも残せる人生ではないでしょうか。どのような生涯であっても、その贈り物を残せたと思えば、私たちは、実にうれしいのです。
困難に打ち勝つことが、後世への贈り物になる
私たちは、よく、こう考えるのではないでしょうか。
家族の事情さえなければ、自分にも大きな仕事ができただろう。お金があって大学を卒業し、欧米へ行って知識を磨けていたら、自分にもできただろう。よい友人に恵まれていたら、大きな仕事ができただろう。
確かに、人はそう考えます。しかし、大きな仕事とは、さまざまな不幸に打ち勝つことによって、できるものです。そこにこそ、大きな仕事があります。
そう考えれば、妨げがあることは、むしろ喜ばしいことになります。妨げが多いほど、私たちには、それを乗り越えるという仕事があるのです。そうして、勇気ある人生と仕事を後世に残せます。
反対が多ければ多いほど、面白い。友人がいない、お金がない、学問がない。それも、面白いのです。神の恵みを受け、信仰によって、そうした不足に打ち勝てるなら、私たちは大きな仕事を残すことになります。熱意を持って乗り越えれば乗り越えるほど、後世への贈り物は大きくなるのです。
お金がたくさんあり、地位もあり、背負う責任も少ない中で、大きな仕事ができたとしても、それだけなら、格別のことではありません。たとえ仕事そのものは小さくても、あらゆる妨げに打ち勝って成し遂げたのなら、後世の人は、そこから大きな力を受け取れます。
さまざまな不都合や反対に打ち勝つこと。それこそが、私たちの大きな仕事ではないでしょうか。だから、ヤコブが教えるように、出会う困難に感謝すべきではないかと思います。
何も残せなくても、真剣に生きた人として
話が入り組んでしまい、時間も少なく、考えをすべて述べることはできません。しかし今日は、これで失礼して、山を下りようと思います。
来年、またどこかで皆さんに会うまでに、少なくとも、いくらかの贈り物を蓄えておきたいと思います。
1年後に再び会うとき、何かを残していたい。「今年は、後世のためにこれだけのお金を蓄えた」でも結構です。「これだけの事業をした」でもよい。「自分の思想を、雑誌の一つの論文として書き残した」でも結構です。
しかし、それより、さらによいのは、こんな話を持って集まることです。
「後世のために、弱い人を助けた。」
「後世のために、これだけの困難に打ち勝った。」
「後世のために、これだけ自分の人格を鍛えた。」
「後世のために、弱い者を助け、正義を貫く心を、これだけ行動に移した。」
「後世のために、私情やしがらみに、これだけ打ち勝った。」
そういう話を持って、またここへ集まりたいと思うのです。
この心がけで、毎年、毎日を進んでいけば、私たちの生涯は、決して50年や60年だけで終わるものではありません。水のほとりに植えられた木のように、少しずつ芽を出し、枝を伸ばしていくでしょう。竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような、少しも育たない、実りのない人生ではありません。
そういう人生を送りたいという願いは、私の最大の希望です。毎日、私の心を慰め、さまざまなことをするうえで、私を励ましてくれます。
もう一つ用意していた「真剣でない宗教家」という題については、時間がないので、ここでは話しません。それでも、私の心がどこにあるかは、十分にお伝えできたと思います。
自分の信じることを実行する人が、真剣な信仰者です。大きなこと、勇ましいことを言うだけなら、誰にでもできます。どれほど神学を研究し、哲学書を読んでも、自分の信じた主義を真剣に実行する精神がなければ、神は、私たちにとって見知らぬよそ者のままです。
だから私たちは、神が知らせてくださったことを、そのまま実行しなければなりません。こうしなければならないと思ったことを、すべて実行しなければならないのです。
正義は最後に勝ち、不義は最後に負けると、世の中に向かって言うのであれば、自分たちも、そのとおりに生きなければなりません。それを、真剣な信仰者と呼ぶのです。
後世に残せるものが、何もなくてもよい。後の世の人が、「これこそ、あの人の残したものだ」と覚えていてくれるものが、一つもなくてもよい。
それでも、「あの人は、この世に生きているあいだ、真剣に生きた人だった」と言ってもらえるだけのものを、後世の人に残したいと思います。(拍手喝采)
原文・底本と、この版について
初出は『湖畔論集 第六回夏期学校編』(十字屋書店、1894年11月)。青空文庫の底本は『後世への最大遺物 デンマルク国の話』(岩波文庫、岩波書店、1946年初版、1976年第30刷改版、1994年第64刷)です。底本の親本は『内村鑑三全集 第一巻』(岩波書店、1932年10月)です。
青空文庫の入力は、ゆうきさん、校正は、吉田亜津美さん。1999年12月31日公開、2011年6月10日修正の本文に基づいています。
この現代語版は、内村鑑三の文章をLLMが現代の日本語に書き換えたものです。原文の「はしがき」「再版に附する序言」「改版に附する序」と、「第一回」「第二回」の講演全体を対象にしています。原文にある漢詩・英文などの引用も、意味を日本語で表しました。小見出し、段落の分割、冒頭と末尾の編集説明は、この版で加えたものです。
人名・地名・年代や、各人物の評価は、原著の記述に沿っています。歴史的事実の検証や訂正を行った校訂版ではありません。書名に含まれる『デンマルク国の話』は別作品のため、このページには収録していません。
